絶望と希望。口唇口蓋裂の障害をもって生きていくため、わたしは8歳で子どもをやめました。

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)の
よっぴー です。

 

わたしが絶望を感じた空想の旅とはなにか、なぜ空想の世界には逃げられなくなったのか、8歳のある日の出来事を書いています。

「大きくなったら外国で住もう」という希望

自分のプロフィール に、

幼少のころから地図をみるのが好きでした。

その心理はさておき、「ここじゃないどこか遠くへ」の想いを地図に託し、空想の 旅をすることで、ある希望を抱いていました。

でも8歳のある日、その空想の旅はわたしに絶望を与え、もう空想の世界には逃げられなくなった出来事がありました。

と綴った一文があります。

 

口唇口蓋裂(上くちびると、口の中の上あごに披裂がある先天性形態異常のひとつ)の疾患をもって生まれたわたしは、顔面奇形のほかに、咀嚼、聴覚、言語の障害があります。

 

そのことで、ある日 母に言われた「泣くな!! 泣きたいのはこっちや!! おまえみたいなん生まれてきやがって!!! おまえなんか死んだらよかったんや!! 。。。。。!! 」の言葉と、翌日のハサミ事件

連日に起こったふたつの出来事で、わたしは、「自分は、こんなさびしい人間にだけはならんとこ」って、力強くおもい、悲しみに負けないよう希望を持ちました。

その希望とは、「大きくなったら外国で住もう」というものでした。

 

※母の言葉が、当時8歳だったわたしに絶望を与えたのではありません。これは「絶望」のうんとうんと手前の痛みでしょう、たぶん。

※客観的にみて、子どもの生きようとする力のすごさに、あらためて敬意をはらいます。

空想の旅

今なら笑っちゃうような発想なんだけど……

「大きくなったら外国で住もう」と夢見る毎日がはじまりました。こんなお洋服を着て、こんなお家に住んで、こんな人たちに囲まれて…。

 

でも希望を夢見る土台にあるものは、疑いの余地がないほど強く信じ込んでいた、言語障害も、顔の傷も、それが「日本人」だとおもってもらえるというものでした。

日本人は全員、鼻の下に傷がある顔面奇形の人種のうえに成り立っていた希望だったのです。

 

言語障害も、顔の傷も、それが「日本人」であるならば、“違う” はなくなり、なんの特別扱いもされないで済む。と無知にそうおもっていました。

アフリカ人は肌の色が黒い、というように、日本人というのは鼻の下に傷がある人種で、わたしが発する日本語が正しい日本語だとおもいはる… そんなふうに。

 

本来の日本人がどんなであるのか、日本以外の国には知られていない、バレていないと、本気でおもってたのです。

日本万国博覧会・EXPO’70

わたしが8歳(小学3年)だったときは1970年でした。

 

その年は、日本万国博覧会・EXPO’70が開かれた年だったんですね。浦沢直樹さんの漫画『20世紀少年』で知っている人もいるのではないでしょうか。

テーマを「人類の進歩と調和」と題した、20世紀世界最大のお祭りとなったそうです。

世界77ヵ国が参加、期間中の総入場者数が6,421万8,770人、うち外国人は約170万人だそうです。

 

わたしはさして興味はなかったけれど(というか、万博がなんなのか、よくわかってなかった)、2歳違いの兄がいて、兄がすごく行きたがっていたので、お留守番するのもイヤだしで、わたしも連れて行ってもらいました。

絶望を感じ、空想の世界には逃げられなくなった出来事

その日本万国博覧会で希望は粉々に砕き散りました。

世界(各国の人々)を見たからです。
世界各国の人々に、日本人を見られてしまったからです。

 

わたしは、わたしと同じ顔・口唇口蓋裂の人を、ただただ探していました。目の前にいる人、すれ違う人、一人ひとりの日本人の顔を見ていました。母も兄も、他の入場者の人もきっと全員が、太陽の塔やアメリカ館、ソ連館などパビリオンを見ていたそのときに。

でもひとりもいませんでした。もちろんいたかもしれません。でもわたしが見た限りではいませんでした。すーーーーーっごい人がいるというのにです。すーーーーーっごい人全員が鼻の下に傷のない健常の顔でした。

 

あまりに衝撃すぎた大きな悲しみだったんでしょうね。
ビルの屋上から落とされたお皿のように、自分が、原形を留めないまでの粉々に打ち砕かれていくのがわかりました。

日本以外の国の人に知られてしまった… バレてしまった…。どこの国で住もうとも、もうわたしは日本人ではなく、顔面奇形の人。希望が消えました。

今では単純に旅が好き

あの日、失ったものは居場所だったんでしょう。
だからわたしは、子どもをやめることで、次なる希望をつくりました。

 

初めての海外は、もう35年以上も前になります。
ひとり旅。
荷物をリュックに入れ、この海のむこう、のぞきに行きました。

 

幼少のころから地図をみるのが好きだったわたしは、今も旅が好きで、国内外問わずちょくちょく出かけます。

変わったのは、「ここじゃないどこか遠くへ」の想いから旅に出るのではないってことかな。

この心情は、入社した会社を3日で辞めて放浪の旅に出たのですが、その旅で解き放たれました。

今では単純に旅を好いています。

 

P.S.
万博のシンボルだった岡本太郎さん作の「太陽の塔」には4つの顔の太陽があったの知ってました?
てっぺんに輝く黄金の顔が「未来の太陽」。中腹にある少しすねたような顔は「現在の太陽」。背後にある黒い顔は「過去の太陽」。それから地下には「地底の太陽」がありました。でも万博終了後、地下にあった「地底の太陽」は行方不明になったそうです。

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