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「一度決めたことをやっぱりやめる」はダメなことなんだろうか?(後)

   

ammHello! AI-amの星山 まりんです。

昨日の記事(「一度決めたことをやっぱりやめる」はダメなことなんだろうか?(前))のつづきです。

 

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「簡単にやめられないこと」

IMG_65784月のうんざりをあやすのがゴールデンウィーク(かも)で、そもそもどうして「うんざり」が起きるかというと、おそらくそのどれもが「簡単にやめられないこと」だから、という話でした。
学校や会社っていうのは、なんだか、そうそうの理由じゃやめられない。そんな決まりはないけど、なんとなく、そういう感じ。でも本当に「簡単にやめられないこと」なんだろうか?

 

考えがころころ変わる

たしかに、会社や学校を「行くのがめんどくさいからもうやめる」は、短絡的すぎるのかもしれません。
でも自分がそれについて抱く、意味とか、価値、効果、そういうものを「めんどくささ」とかいった 「いやな気持ち」が上回ってしまうなら、それでいいんじゃないでしょうか。学校だって、会社だって。
「いやな気持ち」を上回る意味や価値があるなら、なんやかんや言いながらも、本気でやめようなんて思いません。きっと。

自主的にやめた会社や学校に対してやっぱりもう一度働きたいんですけど、通いたいんですけど、と言ってもなかなかむずかしいだろうし、親御さんにはびっくりされるのかもしれません。びっくりというか、責められるかもしれない。それでも、選択することに、いいもわるいもありません。正しいとか、正しくないとか。

でも、「一度決めたことをやっぱりやめる」っていうのは、だめなことなんだろうか?
日常でもなんとなく、わるいイメージがあるような気がします。
昨日は海に行くって話でかたまっていたのに、次の日にやっぱり山に行きたいとか言い出すと、なんとなく顰蹙を買う。さっきと今で言ってることが違う、とか。口に出る考えがころころ変わるタイプのひとは、集団のなかにいつもいますが。なぜか。

 

ひとは変わるもの

IMG_1696必ずしも、なんでも素直に言うのがいい、ということはないかもしれません。「よけいなこと」っていうのもまあ、少なからずあります、たぶん。
でも基本的に、ひとの気持ちとか考えっていうのは変わるもので、変わって当然だし、変わらない部分があるのもきっと当然です。食べものや衣服の好みが変わる。好きなタイプが変わる。昔はあんまりいいと思わなかった小説や映画を、時が経って好きになる。

ひとは生きているし、街も時代も生きているから、季節や草木も変わるし、さっき誰と話したか、どんな音楽を聴いたか、朝なのか夜なのか、たっぷり眠ったのか全然眠れなかったのか、いつでもまったくおなじ自分なんてはずがありません。

仕事や学校が楽しみだったけど、あるいは楽しかったけどイヤになったとか、きらいだったひとをなにかの拍子に好きになったりとか、そんなことは、なんにもおかしくない。
対象がどんなものでも。十人十色とかいって、ひとそれぞれの答えがあるというなら、ひとりの人間のなかにも、無数の答えがあって、あっちを向いたりこっちを向いたり、ときにはどっちも姿をみせていたりする。
変わることがいいこと、というわけではないけど、変わっちゃいけないものなんて、ないように思います。

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