2. 学校に行かない選択/手記 —子どもから教えられたこと—

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am3こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。

息子(上の子)と娘(下の子、星山海琳)は公の学校には行かないで暮らしてきました。学校に行かない? じゃあ勉強はどうするの? 将来に不安はないの? 子どもたちから教えられた学びは貴重なもので、教育とはなにかを根底から問わしてくれました。その手記(2005年記)です。

 

 

学校に「行きたくない」

息子は小学五年生の秋から学校に行かなくなった。

進級した学級担任がキライで、新学期早々から「行きたくない」と口ばしっていたが、わたしはその言葉をさして気にとめなかった。下校後も毎日友だちと陽が暮れるまで遊び、満足した顔で一日を終える息子がいっぽうにいたからだ。

 

しかし先生への不信感、恐怖感は日ごと募っていき、十月を迎えたある夜、「行きたくない」の声は号叫となった。

激しい嘔吐、乱れる呼吸…。胃には穴があき、不整脈(先天性心臓疾患)を起こしてはじめて、わたしは事の重大さを知った。

 

 

学校に行けないってどういうこと?

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学校に行かなくなったらどうなるの? おとなになれない? 将来は?

病気であったり、休息、休暇などで休むのとは話がちがう。学校に行かないというのは、学校に行くのは当たりまえで、どんなことがあっても絶対に行かねばならない場所とおもい込んでいたわたしにとっては、天と地がひっくり返るような出来事だった。

 

息子の悲痛な面持ちを目の前にしながら、わたしはわたしで頭が真っ白になり、かつて経験したことのない不安にうろたえ、苦しみにもがいた。

 

 

学校に行けない原因と解決策

学校でなにがあったのか、何はさておきそれを知りたい。

担任の先生から話を聴き、そこから原因を調べ、学校に戻れる解決策を先生といっしょに考えていこうとした。しかし何を訊いても泣くだけの先生。
これでは事態は進展せず、失意をあらわに校長に会いにいった。

 

校長と話すなかで「担任をかえてもらえませんか?」とも願いでた。

校長は、「一生徒のわがままで担任を代えたとなれば、息子さんが皆から責められる立場になり、辛い想いをさせます。それがわかっていて担任を代えることは息子さんのためにできません。担任が嫌とのことですが、あの先生はいい先生ですよ。おとなは変われるものではないのですから、順応性のある子どものほうが変われば何の問題も生じません。従順の習慣は大切ですから、甘えていないで頑張るよう指導してあげてください」と言い、「子どもの言うことを信用していては、自主的な子どもには育ちませんよ」とも言った。

 

 

助けは学校に求められない

言葉を失わせた重く鋭い悲しみは、はじめて学校教育に疑問をもたせてくれた。助けは学校に求められない。

ではどうすれば登校できるようになるか、次なる解決策をあれこれと考えた。そう、胃に穴があくほど我が子を苦しめたわたし自身の愚かさは省みることも知らず。

 

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学校に行けなくなって一週間が過ぎようとしたある午後、ポツンと「俺、どうなるん?」と息子が言った。

ハッとした。何してるんやろ、わたし…。息子は、「たった今ぼくを助けて!」とSOSを発しているのだ。学校を問い詰めて、原因を追求することを望んでいるのではない。そんなことに時間を費やしている場合ではない。息子はいま目の前でおぼれかけているのだ。息子を助けられるのはわたしだけなのだ。何はさておきすべきことはこっちである。

子どもがみえた。

 

 

教育とはなんだろう?

息子の一言は、「教育」について考えるきっかけをくれた。

この一週間わたしは、学校に行けなくなった原因を問いただし、どうすれば元に戻せるのか、という思考に囚われていた。しかしそもそも教育とはなんだろう? ここから掘りさげていかないと何もみえてこないことに気がついた。

 

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どうして六歳になったら学校に行くのですか?

どうして六歳になったら小学校に行くのか。行かなければならないのか。ここからしてわたしの認識はまちがっていた。

これまでわたしは、行く、行かないの選択がある高校や大学とちがい、小学校、中学校は義務教育だから。だから子どもは学校へ行かなければならない義務があるとおもっていた。(ちなみに、義務教育の「義務」は、子どもに課せられたものではなく親に負わせたもの。子どもにあるのは、教育を受ける「権利」。その「権利」をまもる「義務」が親にある)

 

 

わたしの持つ価値観は、誰の価値観? どこから来た価値観?

学校へ行くことを当たりまえと捉えているから、学校へ行かないことはふつうではなくなるが、ではその 「ふつう」 とはなんだろう。

学校に行っている子どもには 「なんで行くの?」と聞かないのに、どうして行っていない子どもにだと「なんで行かないの?」と問うのだろう。

わたしの持つ価値観は、ほんとうは誰の価値観? どこから来た価値観?

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学校とはなんだろう?

学校とはなんだろう? 何のためにあるのだろう? 誰のためにできたのだろう?

 

社会通念がつくった学校信仰にドッブリと浸っていた。浸らされていた。誰に? その先にある企業的価値観に染めあげられていたことに気がついた。

 

 

常識に縛られた育ち

子どもにではなく自分自身に目を凝らしてみると、不安の出どころは、わたし自身が、通念、常識に縛られた育ちをしてきていたからだった。仮にわたしが学校に行かない生き方をしてきていたのなら、この不安はうまれなかっただろう。現に下の子ども(娘)が学校に行かなくなったときはホッとしたものだ。

 

未知なる世界は常に怖い。

 

通念、常識はいつだって、普遍、不変であるかのように操って、気がつきもしない社会に仕立てている。時代を支配した意図的なシステムだ。

おのずと企業社会の枠組みに基準を置き、その枠からはみ出ると受けるであろうバッシング(自分への評価、偏見や差別からくる世間の目や声や重圧)を怖がっているにすぎなかった自分がみえた。

 

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支配愛が生む不自由

親には我が子を支配したい欲がある。だから、親が望まない、善しとはおもえない選択を子どもがしたとき、それは単なる価値観の相違だというのに、苦しみがでる。苦とは思いどおりにならないこと。ましてや親が望まないものを認めるなどということは、親としてのこれまでの育て方、おいては生き方を否定されたようで、親は、それが怖い。比べるところに苦しみがでるからだ。だからなかなか認められない。子どもをではなく、自分自身を。

子どもは「行きたくない!」と言っているのに、親のわたしが悩んでしまうのもそこだろう。

 

どうして怖くなるんだろう

どうして? どうして怖くなるんだろう。その怖さの根源はどこなんだろう?

自分の内なる問題の核心を知るためのこの問いかけは、さらに怖かった。それでも「恐怖」が生えていた根をたどって、ひたすらじっくり自問自答していった。

 

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犯されていた学校信仰の根深さ、社会構造の恐ろしさをまじまじと身をもって知った。

学校をいやがる子どもを追及するのではなくて、子どもがいやがる学校のあり方こそが問われた。社会通念に沿うた教育観、学校観は、わたしのなかでベルリンの壁のごとく崩れ去った。

 

はじめは天と地がひっくり返る出来事だとおもったものだが、なんてことはない。もといた場所が壁の内であったにすぎず、思い込んで疑うことすらしてこなかったものや、大切なことに気づかせてもらえる貴重な体験だった。

 

 

手放すものと目覚めさせるもの

壁の外は、きらきらと輝く世界が開かれていた。真っ白なキャンパスだった。形が縁取られ、ここには何色、と手本通りに塗っていくぬり絵ではない。

 

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どうかしてるぞ! と学校を批判する口があるのなら、なんとかしてくれ! と学校に頼りにいく足があるのなら、外注任せにしないで、既製品に固執しないで、誰かがつくった常識などに縛られないで!

思いのままの人生を創造していくために、自分の信念、理念に添う自らの創造のエネルギーをその真っ白なキャンパスに描いた。

 

人の数だけ生き方はある。

学校に行かない、を選んだ息子の選択は、彼の生き方だ。学校に行くことで、自分を壊されていくことに危険を感じ、背負わなければならないリスクはあっても、主体性をもって自身を生きようとした、勇気あるすばらしい子どもだ。自分を苦しめる自分の心にさよならして、自分が自分でありたいとするこの選択は、度胸こそあれ、決して怠けや甘えやわがままでできることではない。

 

 

尊重するか、しないか、どちらか

学校に行かないことを問題とすることが問題だった。学校に行かないことをなにかしらの問題行動だととらえたから「解決」が発生したのだが、学校に行かない、というのは解決すべき問題ではなかった。子どもを理解し、信頼しなければならなかった。尊重するか、しないか、どちらか。

 

学校に行かないというのは、自分の足にフィットしない靴を履いていたら靴擦れがおきるように、その学校は自分には合わない。それだけのことだった。

 

 

じぶんを生きる

病気、という天恩をうけて、「いのちを生きる」 を教えてくれた息子は、今度は、学校に行かない、という選択の自由をとおして、「じぶんを生きる」 をも教えてくれた。

 

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