8. デモクラティックスクール(サドベリースクール)/手記 —子どもから教えられたこと—

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am3こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。

息子(上の子)と娘(下の子、星山海琳)は公の学校には行かないで暮らしてきました。学校に行かない? じゃあ勉強はどうするの? 将来に不安はないの? 子どもたちから教えられた学びは貴重なもので、教育とはなにかを根底から問わしてくれました。その手記(2005年記)です。

 

 

「学校ってふしぎがいっぱい」

ランドセルを背負って小学校に行く、をしてみたかった娘は、その日がくるのをワクワクしながら待っていた。

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ところが入学式の帰り道。

「学校ってふしぎがいっぱいやなあ」と娘。

「ふしぎ?」

「うん、ふしぎ。なんで男の子は青色で、女の子は赤色なん?」

「うーん…」

「なんでみんな決まってんの?」

彼女がとらえた本能的な感覚にわたしは考え込んでしまった。

 

以降も学校に行くたび、ふしぎさは増していった。

チャイムにクラス、時間割。宿題、点数(評価)、赤ペン、シール。ふでばこの中味のチェック。自由に飲めないお茶。トイレ。ごはん(給食)の食べ方。友だちの呼び方。表現の自由がないこと。暑かろうと寒かろうと生徒だけは履かないといけない靴下に靴。矛盾している先生の言葉、態度、など、娘がもった疑問は数知れない。

 

学校には行きつつも、学校とキョリをおいて、ふしぎにみえるその世界を、ジィーと観察していたのだろう。

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ああそうか、そういうことなのか。目が覚めた言葉

始業式から一週間ほど経ったときだ。娘が放った忘れられない言葉がある。

チャイムって、メチャクチャいじわるやねんで!! いっつもわたしのジャマするねん!! うんてい(遊具)やってるのにすぐに鳴って、もうやったらあかんってチャイムがいうねん! なんでチャイムが決めはんの? チャイムのいうとおりにしてたら自分のしたいことわからんようになってまうやんな

 

この言葉をきいたとき、ああそうか、そういうことなのか、とおもった。自分のしたいことがわからなくなる仕組みはここにあったのか、と。

 

デモクラティックスクール(サドベリースクール)に流れる時間

娘が初めてフリープレイスなわて(以下なわて)に行った日のことである。(※デモクラティックスクール・フリープレイスなわて。2011年3月閉校)

その日は3時から近くの飯盛山に行って焼いもパーティをすることになっていた。ところが1時になっても誰も用意をしない。2時。まだみんなお喋りを楽しんだり、本を読んでいたりする。3時。

「あー3時やなあ、行こかあ」とA君。 5分とかからない持ち物の準備を終えて、みんなで飯盛山へと向かった。

 

このとき感じたことをわたしはいまもよく覚えている。

それは、一般の学校と同じく、なわても学びの場であるのに、まったくもって教育が時計に支配されていない、ということだ。

時計に従うのではなくて、自分に添うて時間が流れているのだ。

みんなで決めた「共有の3時」がくるまで、それぞれが「自分の時間」に浸りながら、それぞれの魂にとって心地よい過ごしかたをしていた。わたしひとりを除いて。

 

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この想いはなわてを出て、目的地に行く道中も、着いてからの行動(木を集めて火をおこしたり、芋を焼いたり)にも、帰りも、ずーっと感じていた。

みんなで3時になわては出ても、並んで、前を見て、同じ速度で歩くのではないのだ。飯盛山に行く、という目的をはたすための過程もまた自分軸

 

思い出した。子どもたちが小さかったころの生活には、時計は必要としていなかったことを。授乳の主導権は子どもであったのだ。子どもは自分で育つ

それなのに幼稚園、小学校とあがるにつれ、時計に支配されてきていた。

知らず知らずのうちに、時間をモノ扱いしていたわたしは、5分間のために、2時間以上もの時間に自ら縛られていた。

自分の中に時計をおくのではなく、時間の中に自分をおいてしまっていた。時間より前を自分は歩いて。

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デモクラティックスクール(サドベリースクール)に生きる尊重

なわて初日の感想にもうひとつ忘れられない出来事がある。

飯盛山の麓にある四条畷神社まで荷物もち遊びをしながら行こうよ、となった。

電信柱が立つ位置ごとにジャンケンをして、負けた人が荷物を持つ。荷物は大きめの紙袋ふたつだ。たくさんの芋のほかにもなんだかんだ入っていて、けっこう重い。

どれぐらい重いか確認して、これなら持てる、とおもった娘も参加した。

何回めかのジャンケンのとき、娘が負けた。そこまで荷物を持っていた14歳のB君が、「ハイ、まりんちゃん」と言って、娘に荷物を渡した。その言い方、渡し方は、とても自然だった。

 

このときわたしは過ちを犯した。娘に「いけるぅ?」と聞いてしまったのだ。

娘は一瞬(1秒に満たないゼロコンマ数秒の一瞬ではあったが)、ギロッとわたしを見た。そう、わたしは彼女を傷つけた。彼女を侮辱していた。彼女を信頼していなかった。

anger-symbolかたやB君は、6歳の女の子だからといって、特別扱いはしない。重さを確認して、荷物もち遊びのルールに同意して、自分で下した決定に沿うて参加した娘に対し、お情けをかけない。かといって、見下しもせず、ただ対等に、娘と接していた。

自らの意思で参加した娘に対し、B君はやさしかった。わたしはやさしくなかった。娘に聞いた「いけるぅ?」は、やさしさからきているものではない。

 

娘の身長では腕を伸ばして紙袋を持つと、底が道路に擦るものだから、腕をもち上げて紙袋を持っている。いっそう重い。腕をプルプルさせながら、運わるく(?)距離が長かった次の電信柱にたどり着いた。

スタッフのYさんが言った。「うわあー、力もち! 重たかったのに、よぉがんばったなあー」。

見ると、満面の笑みを浮かべている娘がいた(この日以来、娘は自分の腕力に、チョイとした自信を持っている)。

 

一番後ろを歩き、みんなの後姿を見ながら、互いを尊重し合えているこの人たちって、いったい何者なんだ?! と、わたしはおもった。

なわてとつながり、交わっていくことで、少しずつだがわかってくるようになった。

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教育とは何か

デモクラティックスクール(サドベリースクール)にはチャイムがない。クラスがない。時間割りもカリキュラムもない。教科書、テスト、宿題、評価もない。

かわりに「教育」があった。

 

教育とはなにか。

人それぞれの課題であるが、わたしは子どもといっしょに生きることだとおもっている。

目の前にいる子どものその時々の心情のなかに入り、その位置から一体となる。

「わたしは親だ」「ぼくは教師だ」と、自分と子どもを切り離してしまうと教育は成り立たなくなる。なぜなら教育は「生」すべてとつながっているのだから。

子どもは土の上で生きている。「親」という字のごとく木の上に立って、ここに来い! と地面から引き離すことが(しかもより高く!)教育だとはわたしはおもわない。

 

一緒に生きられる世界

デモクラティックスクール(サドベリースクール)には教師もいない。

英語の勉強をしている子、絵を描いている子、ゲームをしている子、ギターを弾いている子、パソコンに向かっている子、本を読んでいる子、おしゃべりをしている子、キャッチボールに出かける子…。みなそれぞれに、そのとき自分がしたいことを、自分のペースで、自分のやり方で自由に遊んでいる。

 

ここには、自分の学びがある。だれもが自分の学びの主人公。そしていろいろなタイプの主人公たちが一緒に生きられる世界がある。

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スタッフのともさんは子どもたちに惚れこんでいる。毎日まっさらな「今日」を着て、「裸足」を履いてやってくる。子どもたちになにかを教えるためではなく、子どもたちから絶えず学ぶために。学ぶよろこびに満ちている。

ひとりひとりの子どもを差別しないのは無論、ひとりの子どもがもつ喜怒哀楽の感情をも差別することなく、共有していた。

娘がなわてを気に入ったのは当然だな、とおもった。

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まりんが6歳のときに書いた「なわて」

 

 

デモクラティックスクール(サドベリースクール)とはどんな学校なのか

デモクラティックスクール(サドベリースクール)とはどんな学校なのか、すこし説明したい。

デモクラティックスクールは、アメリカのマサチューセッツ州にあるサドべリーバレースクール(一九六八年設立)と同じ理念をもった新しいタイプの学校で、現在日本にもなわてを含み4校(2005年10月)ある。

「すべての学びは、自らの内なる好奇心から創まる」という考え方のもと、個々ちがう一人ひとり関心のあることを、自分の好きなやり方、好きなペースで学んでいく。

国が出発点となって、そこで定めたものを、下へ(学校へ)、下へ(子どもたちへ)と降ろした “させられる” 教育(一律、管理、他律など)ではなく、子ども自身が出発点となって “する” 教育(多様(個性)、自己管理、自律など)で、大人が決めたものを子どもに従わせる、ということはいっさいない。

 

魚と肉、どっちがスゴイ?って聞かれても、???になっちゃうのと同じで、英語が話せるようになりたくて励んでいる子。ゲームを最後までクリアしたくて攻略本片手にがんばっている子。ともに真剣に取り組んでいる。そんな2人を比べて、「どっちが偉い? どっちが優秀?」そんなの比べようがない。

評価はない。評価しようがない。ゆるやかな強要すらもない。あるのは子どもたち自身がくだす自己評価だけ。すべては自分(たち)で創る。

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全体に関わることは、子どもとスタッフ全員でミーティングで話し合って決めていく。

日常的なことはもとより、たとえば、プールに行きたい、USJに行きたい、自転車旅行がしたい、かまくらをつくってみたいなど課外活動においても、それをしたい!とおもった者が自らミーティングで伝えるところからはじまる。

行きたいメンバーを集い、日時から交通手段、情報、宿泊の場合は宿泊先、費用に至るまで、誰ひとりとして(行かない人も)「それはイヤだなあ」とおもわない案が出るまで話し合い、実現させていく(多数決では決めず、ひとりでもイヤだとおもう人がいるとその案は消え、また全員でいちから考えていく)。

 

規則なども、そのどれもが、誰ひとりとして、「それはイヤだ!」とおもわない内容の規則となるまで、話し合って全員でつくっていく。

たとえば、「空のペットボトルはなわてでは捨てられないので、自宅に持って帰るなど、各自、飲んだ人が処理をする」という規則があるのだけれど、なぜかペットボトルは増える。

こういったルール違反についても、当事者を責めるのではなく根本からの話し合いが粘り強くつづいている。

 

meeting-552410_640なわてはスタッフも、6歳の子どもも共に平等で対等であり、だれもが一票の決議権をもっている。

運営の軸となる、人事、財政においては、保護者にも一票の権利があり、三者で自治、自立によって治め運営されている。

 

見習い職人に大変身

昨年の夏、援助金のおかげで、老朽化していたなわての学舎の補修工事ができることになった。

しかしながら限られた予算なので、すべてをプロの大工さんにお願いするとなると赤字になる。

そこで人件費をカットするため、棟梁の指示のもと、なわてメンバーが見習い職人に大変身した。が、そのとき、「いやぁ、八歳の子どもは危ないなあ」と棟梁。

しかし娘の目は好奇心で爆発しそうだ。やる気満々の娘の熱気に負けてか、しぶしぶながら棟梁の許可がおりた。

 

はつり作業から始まって、次はセメント作り。

大人がスコップ一回ですくえる量も、娘だとその労力は三回は必要とする。腰を落とし、足を広げ、全身の筋力をつかってスコップを動かしている。体中から汗が吹き出す。娘はめげない。それどころか誰よりもますます意気に燃えている。

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一連の動作を見ていくうちに、怪訝な顔つきをしていた棟梁の表情はどんどん変わっていった。

娘の見事な体力や、のみこみの速さ、持続力など、すべてにおいて非常に驚かれたようで、特に集中力のすごさには「子どもやとおもってバカにしていた」と言って、娘に頭をさげていた。

 

このやりとりを近くでみていておもった。学校に行かないと社会性が身につかないのでは? とよく訊かれるが、必要なのは子どもを社会に返すおとなの社会力のほうだろう。

 

夜、お風呂につかりながら娘が言う。

子どもっぽいおとなはいるけど、おとなっぽい子どもはいない

またひとつ貴重なことを教えられた。

 

工事は十日間ほどで完了し、最後に棟梁は娘に言った。

「なわてやめて、俺んとこ(工務店)来いや!」

うれしい笑みを浮かべながら娘はノーと返事をした。

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わくわくな毎日を生きる

「大きくなったら大工さんになろうかな」そんなことを言っていた彼女の今の興味は、絵になった。起きるなり絵、寝床ででも絵、間がな隙がなひたすら描きつづけている。

興味や関心の方向は常に未知なものだけど、これからも自分が学ぶものを学んでいくのだろう。ハートがキャッチした好きなものと手をつないで。

 

何を欲し、何を選び、どう動くのか。

指示はない。評価もない。

自分を律し、自分に責任をもち、自分を生きる毎日。

ベリーベリーショート (ようは、坊主頭)に、どでかいヘッドホン。 足元ビーサン。何が入っているのか、パンパンのリュックを背負って、今日も大好きながっこうに行く。

どこかのおばさんが娘に声をかけてくれる。

「今日は学校があるのに、ボク、どこ行くの?」
「がっこう!!」(男の子に間違えられるのはいつものことだ)
おばさん、ハテナ?

わくわくな毎日を生きている娘。 その娘は、なわてが、大好きだ。

あっ、どう好きかというと、「夏休みなんて要らない!」と言っている。それほどに。

 

 

 


 

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