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こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
息子(上の子)と娘(下の子、星山海琳)は公の学校には行かないで暮らしてきました。学校に行かない? じゃあ勉強はどうするの? 将来に不安はないの? 子どもたちから教えられた学びは貴重なもので、教育とはなにかを根底から問わしてくれました。その手記(2005年記)です。
手記 —子どもから教えられたこと— (2005年10月12日、吉田晃子記)
■ 目次 ■
1. 生まれてきた子は先天性心臓疾患 〜いのちを生きる〜
2. 学校に行かない選択 〜じぶんを生きる〜
3. 「勉強とはなにか?」勉強の仕方と集中力
4. 集中力や創造力を育む「遊び」の重要性
5. 不登校で将来に不安はないの?
6-1.安心できる関係を家庭から作る:子どもから教えられたこと ←今ここ
6-2.子どもを不自由にする行為の正体:子どもから教えられたこと
6-3.学びは自らの好奇心から始まる:子どもから教えられたこと
6-4.教えない、奪わない、求めない:子どもから教えられたこと
6-5.子どもの成長をジャマしない:子どもから教えられたこと
7. 天がくれた、わたしの役割
8. デモクラティックスクール・フリープレイスなわて
9. 学校に行かない、勉強もいっさいしてこなかった息子の10年後のいま(2015年10月12日、記)
「化」粧の仮面
十七歳のとき自分に誓った事がある。いつの日か自分が親になれたなら、子どもがビクビクしなくていい家庭を築く。ウソをつくことを怒るのではなくて、子どもがウソをつかないでいられる家庭をつくる、と。
親に口答えができない家庭で育ったわたしは、小さいころから、勉強以外のことをしていたとき。ソファに横たわって菓子を食べていたとき。鼻くそをほじくっていたとき。もの思いにふけっていたとき。等々、母親の予想外の帰宅であったり、予期せぬ入室にビクッ! としてそれらを隠したものだった。
なぜ隠す? なにを隠す? 八歳のころにはそういった「何故」を追求していたが、年齢が上がるにつれ、自分のなかに棲むもうひとりの自分との衝突が激しさを増した。
「スナオナイイ子」の仮面をかぶる自分と、「スナオナイイ子」の仮面を取っぱらってしまいたいとおもっている素直ないい子。だけどおもうだけで怖くて、怖くて、とてもじゃないが、取りはらえないでいる自分…。まるで強迫行為に縛られた「化」粧のようだ。

安心できる関係を家庭から作る
あるがままでいたかった。
「スナオナイイ子」の仮面をかぶっている自分も、仮面を取っぱらいたいとおもっている自分も、怖くて取りはらえないでいる自分も、どれもまぎれもない本当のわたしだ。
けれども自分が自分であってはいけない環境下は、あるがままを許しはしなかった。
悶々とした苦しさを生む、そんな種を蒔きつづける親。自分にウソをつくたび、心のずーっと奥にしまい込んだ「ホント」。自分自身の無力さを噛みしめるしかない。悲しかった。悔しかった。
だから、同じことはくりかえさない。わたしは安心できる関係を家庭から作りたい、そうおもって誓った。

比べない「いま ここ」の暮し
十代最後の春、のちに夫となるパートナーと出逢った。こころの柔らかな人で、いつも楽な呼吸をしている。為すことを無しとした彼の愛は、誰にも打ち明けたことのなかった胸中を語らせた。そうしてゆっくりと「素顔」にもどっていった。
数年後、わたしは親になれた。
逃げでもあり、希望でもあった十七歳の誓いと、素顔の力と、一章の 生まれてきた子は先天性心臓疾患 〜いのちを生きる〜 で綴った原体験は、子育てにおいて垂直思考を手放させた。
だから自分の意見をはっきりと言う息子を懸念して、わたしたち夫婦双方の親は、甘やかしてはいけないとか、しつけがなっていないだとか、親の言う事をきかす方法など、たくさんのアドバイスを投げかけてきたが、難なく受け流すことができる自分になっていた。
息子は退院後も(今現在も)、いつ心不全が起きてもおかしくない状態であるが、明日は知れない今日のいのちに覚悟ができたわたしだ。骨の一本や二本折れようとも、通知表に「5」が並ばなくても、そんなことはどうでもいい。
息子が心臓疾患で産まれたことで得た徳に、「比べない」がある。小さいだとか、細いだとか、遅いだとかの類だ。生後八ヶ月になっても体重が五キロに満たないなどの経験は、わたしに、競わないでいい、あせらないでいい、いそがないでいい、「いま、ここ」の育児時代をプレゼントしてくれた。

二人目の子・娘も生まれ、これまで以上に笑い声はこだました。兄妹ケンカもできるようになった。
家族四人、素顔で暮らしていた。
自分の素顔を知る
しかしながら3年前(2002年)、息子が学校に行かなくなったことを機に、教育について考えだしたとき、化粧がまだ残る自分を見た。
一度化粧をおぼえた者は素顔になるのは至難の業ということか。それとも落としきれていなかった化粧は学校信仰の根強さか…。
ともあれ、純然なすっぴんの自分に会いたくて、再度化粧落としにいそしんだ。子どもに素顔のままでいてもらいたいのであれば、まずは自分の素顔を知らなければ話にならない。やさしい子になってもらいたいのなら、親自身がやさしい人でなければ成り立たないのと同じだ。
それまでのわたしの価値観は、ほんとうは誰の価値観? どこから来た価値観? 自身へのこの問いかけの答えと初の対面をしたとき、頑なにこびり付いている恐怖感を知った(恐怖ではなく、恐怖「感」)。
恐怖感は皮膚の奥深くにあるのだ。クレンジングでやさしく、やさしく、マッサージしながら恐怖感を表面に出してくる。出てきた恐怖感は、陽のあたる場所に置いてあげる。ながめる。ながめながら、どうしてその恐怖感が頑なにこびり付いていったのか、そのプロセスを真摯に考えた。
いっぽう子どもたちが目の前にいるときは、日々の暮らしのなかで次々に起こる茶飯事、ひとつ、ひとつに集中して、そのときどきの心模様に意識をおいた。
そうしてみえてきたもの、ひとつひとつが、この3年の月日(2002年〜2005年)の中で、子どもたちから教わった学びであった。

手記 —子どもから教えられたこと— (2005年10月12日、吉田晃子記)
■ 目次 ■
1. 生まれてきた子は先天性心臓疾患 〜いのちを生きる〜
2. 学校に行かない選択 〜じぶんを生きる〜
3. 「勉強とはなにか?」勉強の仕方と集中力
4. 集中力や創造力を育む「遊び」の重要性
5. 不登校で将来に不安はないの?
6-1.安心できる関係を家庭から作る:子どもから教えられたこと ←今ここ
6-2.子どもを不自由にする行為の正体:子どもから教えられたこと
6-3.学びは自らの好奇心から始まる:子どもから教えられたこと
6-4.教えない、奪わない、求めない:子どもから教えられたこと
6-5.子どもの成長をジャマしない:子どもから教えられたこと
7. 天がくれた、わたしの役割
8. デモクラティックスクール・フリープレイスなわて
9. 学校に行かない、勉強もいっさいしてこなかった息子の10年後のいま(2015年10月12日、記)
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