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6-3. 学びは自らの好奇心から始まる:子どもから教えられたこと/手記 —子どもから教えられたこと—

   

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am3こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。

息子(上の子)と娘(下の子、星山海琳)は公の学校には行かないで暮らしてきました。学校に行かない? じゃあ勉強はどうするの? 将来に不安はないの? 子どもたちから教えられた学びは貴重なもので、教育とはなにかを根底から問わしてくれました。その手記(2005年記)です。

 

 

学びは自らの好奇心(関心)から始まる

わたしは「待つ」ができない親だった。

息子は学校に行かなくなったあと、とあるフリースクールに入会した。このフリースクールを、探して、薦めたのはわたしだ。ここからすでに重大な過ちを犯しているが、それはあとで触れよう。

 

初めてスクールに行って帰ってきたときのことである。
「おかえりなさい。どうだった?」とわたし。
「はあー? べつに」息子。

 

わたしは何も言ってくれないことに対して、なんで? とおもった。翌日もそうだった。

夜になり、湯舟につかっているときにやっと気づいた。「おかえりなさい」のあとに付け足していた「どうだった?」の言葉に。

 

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頭に大きな風穴が開いた。

学校であれば、小学一年の新学期のころでもなければ帰ってくるなり「どうだった?」とは聞かない。

不登校なんて生き方のひとつよ、などと言いながら、その言葉にはありありと気にしているのがうかがえる。

そりゃあ帰ってくるなりこんな心情を押しつけられたら、たまったものではない。

 

「物事は、相手を責めて相手を見るのではなく、自身を観つめないと何も見えない」ことを思い出し、捉えなおしてみれば、それはわたしがホッと安心できるよう、話をして欲しかっただけだった。

それ以降は「おかえりなさい」でとどめた。

すると、直後のとき、晩ご飯のとき、数日立ってからのときもある。いずれにせよ息子自身が話したくなったとき(聞いてもらいたくなったとき)、息子のほうから「あんなぁ~」と言って話しだした。

 

わたしは自分を恥じた。そして息子から学んだ。わたしは「待つ」ができない親だった。子どもより、まずは自分だった。

 

ストーリーが大きく変わる出来事

息子のいつもの口癖、「ひまやぁー」。このせりふから翌朝も始まった。しかしこの日、ストーリーが大きく変わる出来事が起こった。

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それまでのわたしは、息子から「ひまやぁー、ひまやー」と言われると、「じゃあ、○○しない?」とか、「××すればあ?」とこたえていた。

息子の悩みをどうしたら解決してあげられるか、わたしもいっしょになって考え、提案していた。

 

けれど昨夜の気づきで、提案もまた、子どもの行動を変えようとしているだけで、先に述べた「バラになるように加工する」となんらかわらないことに気づいた。

子どもが所有する問題を勝手に奪い取って、自分の言いたいことだけを言っている。

肝心の、子どもが持つ悩みには共感も受容もしていない。

 

フリースクールを探してきたのもそれだった。……そうは言っても、どこかの団体に所属していてもらいたい。スクールがダメなら、サッカーチームでもいい。草野球でもいい…。親側が持つ不安を、子どもが抱いた悩みにまぎれさした。

 

自分が本当にしたいことを自分が考えないと、素顔の自分のままではいられない

この日わたしは、「そんなにひまならスクールに行けばいいのに」とおもっている心の内を、グッと堪えて声にはしなかった。

あれは? これは? 提案を口出ししそうになるのもジッと我慢した。ただ息子のひまや! に共感するフリをしていた(このときはまだフリだった)。

 

すると息子は考えた。「今、自分は何がしたいのか」を。
で、考えること六時間。時刻は十五時を過ぎたところだった。

「古本屋に行ってくるから道、教えてー」

そうして彼は家を出た(このとき息子は十歳で、これまでひとりで行ったことはなかった)。

 

後になって振りかえると、この日の学びは卓越したギフトだった。

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わたしたちは初めて、今、自分が本当にしたいことを自分が考えないと、素顔の自分のままでは、次には進めないんだ! ということを体で知った。

 

とりあえずは自己嫌悪に陥ることもなく、安心して居られる何らかの行為をして過ごしていれば(過ごしていることに気づいていなければ)、造られた自分に化粧はさらに重なっていく。

 

子ども自身の学びを奪っていたことに気づく

古本屋から帰宅した息子は、「あそこの古本屋、八巻 (コミック本)がないから、八巻のある店を探さな」と言ってパソコンにむかった。

ネットで情報収集をしている。より新鮮な情報を欲するところは店舗に電話をして尋ねている。

B店に在庫があることがわかった。今日A店まで自転車で約三十分かかったことから、ではB店へはどれくらいの時間がかかるのか。このとき息子は「B店までどれぐらいかかるんやろう。調べ方教えて」と言った。

 

子どものところに立っていなかった昨日までのわたしなら、「B店までどれぐらいかかるんやろう。調べ方教えて」の、「B店までどれぐらいかかるんやろう」のほうに反応して、「一時間強よ」と教えていたことだろう。「調べ方教えて」は葬って、葬ったことに気づきもしないでだ。

つまりは、彼の学びを奪っていた。

 

地図帳に物差しをあて、所要時間を知る術を得た息子。

翌日は起きてくるなり、「あー、着いたらちょうど十時ぐらいやなあ」そう言って、「ひまやー」と言う暇もなく、家を出た。

 

評価や指示をしないでいたら観えたもの

こんなこともあった。ある日、びしょ濡れになって帰って来た息子。

わたしは、「あほやなぁ、雨宿りすればよかったのに」とか、「風邪ひくから早よ着替え」といった評価や指示はせず、「うわぁ災難やったなぁ。冷たかったやろ」と言った。

すると、「そうやねん、聞いて! 聞いて!!」と言わんばかりに息子は、あーやってん、こーやってんと話し、「ああ、ちょっと待ってて。(まだいっぱい聞いて欲しいことはあるが)風邪ひくから先にシャワー浴びて服着替えるわ」と言い残して、自ら風呂場へ急いだ。

 

このときわたしは、これまでいかに子どもを侮辱し、支配し、管理していたか、ズシッと教えられた。まざまざと覚えている痛みのひとつだ。

 

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翌日、雨はまだ降っていた。わたしは「雨が降っているから傘をもって行きやあ」の、傘を持って行きや、はおろか、雨が降っていることさえも言わなかった。

息子は息子で、自分で天気や天気予報を見るようになった。雲の具合、風、湿度、そういったもので雨が近いことも体でわかるようになった(意識するようになった)。それらに応じて、着ていく服も選んでいた。タオルとナイロン袋がいかに役立つかという知恵も得たようだ。

 

他にも数えきれないたくさんの学びを彼は得たことだろう。

おこづかいをいっさい使わないで済むよう、自分でおにぎりを作り、飲み物も持つ。そうして今日はあそこ、明日はいずこしながら、四十二巻全巻を読み終えた。

 

教えない、奪わない、求めない

古本屋へ通うための彼の一連の行動をみていて、「学びは自らの好奇心(関心)から始まっていたんだ!」と体で知った。

当事者ではないわたしが、子ども自身の領域に入り込み、ああしろ、こうしろと意見を述べたり、指示をしてしまう干渉は、本人が考えなければならないこと、本人が判断し決断しなければならないこと、それらの能力を奪い去り、学びのチャンスを妨害する。あくまで行動するのは本人なのだ。

 

わたしはこのときを境に、子どもたちから求められない限りは、たくさんのミスを犯しながらではあるが、教えない、奪わない、求めない、に徹してきた。

 

助けないことが助けることなんだと知れたから。助けている限り(干渉している限り)自律性は育たないことを学んだから。

何らかの形で中途半端に子どもを手伝っていれば、子どもは親に頼り続け、自分から動き出そうとはしない。また、どこかで子どもがつまずいたとしても、そのときでさえ、いや、そんなときこそ、親の気持ちとしてはどんなに痛みが伴っても助けないで、子ども自身がそれを乗り越えていかないと自立はできない。

 

自立は乳児期から始まっている

自立は、子どもが成長していく日々のなかで、親と子の相互依存の関係を徐々に、口出し、手出ししないで薄くしていくことで成し遂げられていくものである。

だから二十歳になったら自立ができるとか、親元を離れて暮らせば自立だとか、まるで昨日と今日を隔てるラインがあって、そこを越えたら自立、ということではないとおもう。

自立は乳児期から始まっている。

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親は自分の考えや想いを押し付けようと躍起になって、そのことにエネルギーを注ぐけれど、それは真の愛ではない。

「そのとき子どもが求めているものを理解できる能力」を常に備えておくこと。そこにエネルギーを使い、そして、ただ、ありのままの姿 (感情や欲求や)を受け止めてあげる。これがほんとうの 「愛する」ということではないだろうか。

 

喜怒哀楽、どの感情も美しいはずなのに、感情にまで格付けをして評価して差別する。

差別されて大人になって、「あるがまま」を勘違いする。子どもが怒っていたりすると、怒ることはいけないことだと怒る。

 

子どもにとって一番辛いのは、親に理解されないとき。ありのままの自分では関心を持たれないとき。

 

三年前の卓越したギフトをもらったあの日、心の中でおもっていた「そんなに暇ならスクールに行けばいいのに」のわたしの想い。あれは「行けばいいのに」ではなく、「行って欲しい」、という親の我欲に過ぎなかった。

やんわりと干渉してスクールに行くように誘導していたら(本心は強制したいところだが、命令的に言わないだけで、やっていることは支配)あの日の学びとは出会えなかった。

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