こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
この記事は、2007年06月に行った、我が家の「水曜どうでしょう」的クレイジーな旅、3日間で東日本制覇できるか?移動編の模様です。(2007年06月25日記)
「あ、これがルート?」
わたし 「明日、ちょっと青森に行って来るわ! 」
息子 「例の青森の「 12本ヤス 」の木かぁ?」
わたし 「うん。そう。無性に会いたなってさ」
ある冊子で「12本ヤス」をみました。その冊子には、他にも、名木といわれてるものが載ってたんですが、なぜかこの「12本ヤス」に強く惹かれ、この眼で観てみたい! そうおもいました。その想いが突如、観てみたい! ではなく、「いま会いたい!」となってあらわれたので、明日から行くことにしました。
走り書きしたメモをみて、
むすこ 「あ、これがルート?」
この会話が恐怖(笑)のはじまりでした。
走り書きのメモには
月曜日/ 大阪17:47分発 寝台列車「日本海」 → 翌火曜日/青森8:32着
火曜日/五所川原(青森)20:00発 深夜高速バス → 翌水曜日/東京7:30着
水曜日/東京9:10発 昼行高速バス → 同日水曜/大阪17:25着
もうひとつの案として、往復とも高速バス利用のものと書いていました。
「これになんか付いたら、俺も行きたいなぁ」
息子 「あ、これがルート?」
わたし 「うんそう。往復ともバスにするか、行きは列車にするかは、まだ決定やないねんけどな」
息子 「これになんか付いたら、俺も行きたいなぁ」
このときの旅は、息子の「これになんか付いたら、俺も行きたいなぁ」の一言からはじまりました。クレイジーな「水曜どうでしょう」旅。移動がメイン旅♪
ルート計画
わたし 「じゃあ青森からの帰り、東京発のバスを夜出発便にして、一日、東京見物なんてどうよ?」
息子 「いや、滞在時間を長くしたら、おもろないやろぉ~」
わたし 「じゃあ帰り、喜多方(福島県)寄って、ラーメンってのはどうよ?」
息子 「福島はこのまえ行ったしなぁ~」
わたし 「じゃあ、宇都宮(栃木県)で餃子はどうよ?」
息子 「いやぁ~、まだ魅力に欠けるなぁ~」
わたし 「ほなら、気仙沼(宮城県)のふかひれはどうだ?」
息子 「おかん、食いたい?」
わたし 「いや、まったく(笑)」
わたし 「じゃあさぁ、東京からオレンジライナーどうよ?」(東京 ⇔ 松山(愛媛県)を走る深夜バス)
息子 「お~~いいね、いいねぇ~。おもろくなってきたねえ〜〜。で、そのあと、鹿児島にでて、屋久島やろ?」
わたし 「お~~~それいい!! 見たかった木、見に行こう!青森・屋久島 強行ツアー♪」
青森の帰り?
100%バカサバイバイ話はドンドン盛り上がっていくのでありましたが、まっ、現実は、金・土・日の仕事が外せなかったので、帰宅は、木曜日の夜、もしくは金曜の朝までがタイムリミット。
と、そこに起きてきた娘が登場です。
一通りの話を聞いて、、、
娘 「じゃあ、青森の帰り、 札幌に寄りたい! 」
息子 「例の行きたがってたCD屋?」
娘 「うん♪」
わたし 「あ、それやったら、「すみれラーメン」も行きたい!」
↑ どこまでも食い物から離れぬわたし^^; つうか、青森の帰りに「北海道」の発想はなかったです。
我が家の「水曜どうでしょう」的クレイジーな旅
かくして、クレイジー一家の「水曜どうでしょう」旅は決まったのであります。題して、
「飛行機、新幹線を使用せず、3日間で東日本制覇できるか?旅」
あ、宿には泊まりません。バス泊と電車泊のみ。寝台車もNGです。
信州経由(岐阜、長野、山梨)で東京にはいり、千葉→埼玉→栃木→福島→宮城→岩手→青森⇒「12本ヤス」。
「12本ヤス」⇒北海道→青森→秋田→山形→新潟→群馬→東京→神奈川→静岡→愛知→→→
金曜日、午前7:30。大阪に「たっだいまーーー!!」で帰ってきました。
出発前ね、「こりゃ死ぬな」とおもってましたが、やっぱクレイジーはいいですね♪ たのしいです!!
ハプニング続出で、最っ高におもしろかったです~~~!!
たださぁ、茨城県だけ行けなかったんです。クソー! (2007年06月25日記)
その5年後……
ここからは2016年04月23日に書いています
この旅の5年後に、西日本編もしました。
家の周辺ででも、サイコロの旅はよくしました。
三叉路や四つ角の分かれ道がくるたびにサイコロを振って行く先を決める。偶数だったら右、奇数だったら左、なんてふうに決めておいたりしてね。
盛岡まで行ってわんこそばを食べる、という旅も、家を出るときに「盛岡にわんこそばを食べに行こう!」となって盛岡に行ったのではないんです。
高速の分岐、分岐でサイコロを振って決まった、「水曜どうでしょう」ふう・サイコロの旅でした。結果として盛岡になっただけ。
「水曜どうでしょう」ふう・サイコロの旅は、ほんと、しょっちゅうしてました。子どもたちは学校に行かないを選んで暮らしていたからできた、遊びのひとつです。
これらの遊びのおかげ? まりんさんは高認を受けるとき、地理は一度過去問を解いただけの勉強で合格しました。
そしていま、またなんかやりそうな気配です。