こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
よっぴー・まりんのオンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」もそうなのですが、わたしが願っているのは、世界中のお母さんがしあわせでいること!
なんでそう願っているかって言ったら、お母さんがしあわせだったら、こどももしあわせ だから、です。
お母さんがしあわせだったら、夫さんもしあわせです。
お母さんがしあわせだったら、彼氏さんもしあわせです。
お母さんがしあわせだったら、お母さんのお母さんもしあわせです。
そして、なにより、お母さんがしあわせだったら、お母さん自身がしあわせ だから!
もくじ
じゃあ、その「しあわせ」ってなに?
じゃあ、その「しあわせ」ってなに?
わたしは 安心 だとおもっています。
がんばらなくてもわたしはわたしのまま愛される。
人の役に立たなくても生きているだけで愛される。
生きているだけでわたしには価値がある。
「愛される」はご褒美?
ところが、どうでしょう?
わたしをはじめ、皆、みごとなまで剥ぎ取られた子ども時代を過ごしています。
頑張り抜かなければいけない。
人の役に立たなければならない。
そうでなければ、わたしには価値がない。
かかわりを育てる道徳
小学一年生になれば、概ねこんなかんじです。
- 気持ちのよいあいさつ、言葉遣い、動作などに心がけて、明るく接する。
- 友だちと仲良くする。
- みんなが使う物を大切にし、約束やきまりを守る。
- みんなで協力しあって、学級や学校の生活を楽しくする。
- すすんで家の手伝いなどをして、家族の役に立つ喜びを知る。
これ、「行儀のよい子」を目指しています。
『 教育の倫理学 』の本に、「みんなが使う物を大切にし、約束やきまりを守る」というのは、「共有財産の尊重」と「相互的な約束の尊重」と「規則の尊重」という倫理的に見てまったく別の概念が一緒にされている、とあります。
物を大事にするということについて、小学一、二年生であれば、まずは「自分の物を大事にする」が教育の目標でなければならないとあります。

ゼロ歳からの育ち
人の物を大事にする前に、自分の物を大事にする。。。
他人に迷惑をかけることはイケナイことで、「自分がされていやだと思うことは他人にするな」というルールを守らせなくてはならないと育てるけれど、大切なことがゼロ歳から後回しになっています。
「人に迷惑をかけちゃいけない」と言われて育ってきてますが、生きていて、迷惑をかけない人って、本当にいますか?
生きていることは量り知れない人々に迷惑をかけてのことではないですか?
読んでみてください
生きているだけではいけませんか/えにし庵・辻光文さんの言の葉
助けを求めていい んです。
他者の前に、自分を大切にする ということが育っていない。
笑われてごらん
もう習慣づいていて、雨の日にまで晴れでいなきゃってなるからしんどくなる。
しんどくって、ご飯ができなくって、それでも作らなきゃいけないとき、イライラして作るぐらいなら、できあいでいいじゃないですか。
しんどくって洗濯できなくてパンツがないなら、はいていたパンツを裏返して はけばいいです。家族みなで裏返してはいてるパンツを見て、笑いあったらいいです。
笑われたことがないんだとおもうんです。
笑われんように、ってがんばってこられたんだとおもいます。
笑われたら後ろ指ささるとおもっているのかもしれません。
ちがうで! 笑われたら笑われた分だけ、人にやさしくなれます。自分にやさしくなれます。
自分にあまくなれたら、人にもあまくなる。
まあええかと、自分の滑稽さ、自分で笑えて、そんな自分が愛おしくて、そんなんしてたらある日 晴れになってます。
へぇ~そぅなんだぁ……とただ感じる。
簡単なようで難しいことではあるけれど、雨の自分も愛してあげる。
雨の自分を責めるけれど、雨をあじわえているってことは生きてるってことだから。
目指すのは「完璧なお母さん」なんかじゃない!
母親は、そして父親も、こどもたちにとってのお手本です。
そのお手本がしあわせでなくて、どうやってこどもたちは「しあわせ」について学ぶことができるのでしょうか。
しあわせになっちゃあいけないっとおもっているのは、「やりたい」をやってこなかった副作用。
だから、やりたいをやろう。いまからだって!
自分の「やりたい」に正直になりましょう。
正直に生きてきた人はしあわせです。
やりたいをやる秘訣
個人の意識の面で変われることは、
- 「夫を信じる」ということ。
- 「自分の人生を楽しむ」ということ。
子どもを寝かしつけたり、オムツを替えたり、1日、2日面倒みてもらったり、、、この人ならやってくれる、できると 信じて、まかせてあげてください。
もう1つの「自分の人生を楽しむ」。これ、よく人にきかれます、「どうやったら楽しめるのですか?」と。
楽しむと 決める ことです。
あなたはとわたしは仲間・家族
安心は、じゅうぶんに甘えて、甘えを受け止めてもらうことで得られます。
甘えない人が自立するのではなく、甘えた人が自立する。子ども時代に、じゅうぶん甘えた人が自立するのです。
安心が、子どもの心を育て、強くし、「生きる力」になっていくのです。
なにがあっても大丈夫、ここに帰れるから、この人がいるから、とおもえるとき、人は大胆に挑戦もできる、精いっぱいがんばれる。
最初にあるべきは、この「安心」できる環境や関係、つながりあう存在 です。