こんにちは、
AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
先週末、「ブラック企業」で働いているという20代の人たちとおしゃべりを楽しんでいました。
でね、彼・彼女たちの話を聞いてて、今の学校(一条校)についておもった話ですー。
もくじ
ブラック自慢
彼・彼女たち3人は、それぞれ違う会社で働かれています。形態は正社員2名とバイト1名。3人とも大学卒業です。
でもって3人とも「会社を辞めたい!」「今すぐ辞めたい!」という共通の悩み(つまりは やりたいこと )を持たれています。
本人たち曰く、勤め先はブラック企業だそうで、
「わたしのとこはこんななんだ」とひとりが言えば、「そんなのマシだよ、うちなんてこうだよ!」、「うちんとこはもっと酷くて…」、、、と、ヒートアップしていきます。
彼・彼女たちは言います。「3人集まるといっつもこうやってね、ブラック自慢しあってるんですー」
「自由=許可」になっていく過程
で、わたしに訊くんです。「辞めてもいいと思いますか?」
多くの大人年齢の人たちは子どものころから、生活のなかのごく小さな、無意識レベルの事柄で、多くの干渉を受けてきています。
たとえば、「それ触ったら手が汚れるよ」「走ったらこけるよ」など、など。
そうしたことは本来なら、子ども本人が体験して、「ああ、これを触ったら、こんなに手が汚れるんだ」とか、「ああ、こうやって走ったら、こけるんだ」と、からだで知っていきます。
そして、その次には「汚れるのイヤだから触らないようにしよう」とか、「これぐらい汚れてても平気」「どうやったら汚れないのかな」など、
自らで知って、感じて、自らで考え、実行にうつす。周囲の大人たちの先回りによって、そうした学びをうばわれてきています。
その過程でインプットされるのは、「言うことをきかなかったら怒られる」「失敗したら怒られる」です。
不合理な信念(防衛規制)
自分を守るために依存させられた子どもは、生活のなかの小さな「やりたいこと」にさえ、許可をもらおうとします。
たとえば、「上着ぬいでいい?」「お茶飲んでいい?」なんていうのもそうですよね。許可なんて必要のない事柄でも、大人に許可を求めます。
許可が出たら、やる。
出なかったら、反抗したり(外向的)、ふくれたり(内向的)しながらも、結果的には上の者に従うほか、道は用意されていません。
親に捨てられたら生きていけないことを、本能で知っているからです。
親に嫌われたら生きていけないことを、本能で知っているからです。
ラッセル幸福論
※ 防衛機制は幸せを阻害しているので、のびのびと生きるにはこれを捨て去れるといい。
あなたの幼少時代を支配した人たちの思い出に対する「不敬」を恐れてはならない。当時あなたは、弱く愚かだったので、彼ら(彼女ら)は強く賢く見えた。弱くも愚かでもない現在、彼らの見かけ上の強さと賢さを点検し、彼らが、あなたがいまだに習慣の力で払っている尊敬に値するかどうか考えてみることは、あなたの務めである。
自分の関心を内へ内へとむけるのではなく、外界へとふりむけてあらゆることに好奇心をいだくこと。偉大なるコモンセンスの人ラッセルは、これこそが幸福獲得の条件であり、それは自己説得によって可能なのだと説く。たくましく、しなやかに人生を生きるための知恵がこの幸福の処方箋にはたっぷりと書き込まれている。
教育について
それでも、家庭には大なり小なり、会話があります。喜怒哀楽があります。
親はこどもを愛しています。
でも、その愛は、学校にはありません。
指示を出す人間に同意・服従できる能力を身につけ、わたしたちは就学年齢を迎え、小学校へとすすんでいきます。
上記のバートランド・ラッセルは学校教育について、以下のように考えました。
ラッセルは大衆心理の操作において教育による洗脳効果が重要な役割を果たすことを、1952年刊行の著書『社会における科学の影響』The Impact Of Science On Societyに おいて述べた。
現代の科学的政治支配においてメディアと教育は最重要課題であり、支配階層のみがその部門の管理を行うことで、大衆に気付かれぬよう簡単に心理操作が可能になるとした。
また幼い頃から学校において管理・命令・禁止を常態化させることで、自由意志を破壊し、生涯に渡って権力への批判意識を無くした受動的で無気力な大衆を産み出すことが教育制度の目的であること、それを羊肉を食べる人間に対して絶対に反乱を起こせない羊の群れに例えた。
ラッセルは1960年代の英米におけるリベラル派のフリー・スクール運動を支援し、権力による子供の思考への干渉からの解放を擁護した。
出典:wikipedia
ブラック企業No.1
一条校(学校教育法第一条で定められた学校。みんなが知っている一般的な学校)のはじまりは、命令に従う人間を育成するために、軍隊をモデルにして作られた制度です。
朝礼やラジオ体操の原型は軍隊ですし、制服も原型は軍服にあります。
なにより類似しているのは、「上官の命令は絶対」同様に、「先生の命令は絶対」となっていること。絶対的な強制圧力によって成り立ってしまっています。
学校は学校で、政官財メディアの世界が圧力をかけてくるのです(政官財メディアもまた追い立てられている)。
どこの会社よりもブラック企業です、ほんと。特に中学校と大学!
学校の空気がしんどいの、ぜんぜん自然ですよ、ほんと。
教える教育、暗記する教育
吉田晃子・星山海琳の共著本 『小さな天才の育て方・育ち方 – 小・中・高に通わず大学へ行った話』 には、海琳さんが小学校1年生のときに言い放った言葉も書きました。
「学校ってただ座ってるだけで なんでも教えてくれるやん。そんなんつまんない」。
ほんと、子どもの言う通りです。
いま自分が、関心をもっている学びたいものを追求するのではなく、上から与えられた強制的な勉強課題に対して、ただ覚えるだけです。
そして、
604年 十七条憲法を制定
607年 小野妹子ら遣隋使派遣
645年 大化の改新
この「正解」を間違わずに覚えていたら、「頭がいい」ことになります。
教える教育の危うさは、正解を詰め込めば詰め込むほど、追求力が低下してゆく構造です。
教えられると追求力が低下し、追求力が低下するから、答えが与えられるのを待つようになります。
答えを一方的に教えられると、脳は分かったつもりになり、そこで追求をやめてしまいます。
問題解決能力を錆びつかせないこと
自らを知ること、自らが感じること、自らで考えること。このプロセスがなければ、能動性や柔軟性は錆びついていってしまいます。
現実の社会で求められるのは、正解のない問題に挑戦して、多くの知識や価値観に触れながら、答えを生み出してゆく思考力、実行力です。
決まりきった答えやパターンを握っているだけでは、問題を解決して、自分の正解を生み出すことはできません。
自分の人生だからこそ、学校教育の弊害をうまく免れて、精神の自由、保ちましょうね。
関心を持ったものに向かうときには、まったく逡巡しない自分であるために。
今日の本
河合隼雄の幸福論
養老孟司氏推薦! 「心の奥底にしみこむ話がたくさん載っています。読まなきゃ損です」
人間関係について、悲しみについて、成功について、人生について――。臨床心理学の第一人者である著者による、生き方のヒントとなる59のエッセイ。