将来ということばは失敗への恐れから生まれてくる

ammこんにちは、AI-amの星山まりんです。

「先のことを考えて」、「将来のことを考えると」などなど、こういう言葉を、親が子どもに向かって言っているのを、よく聞きます。

「先」っていうのは、なんでしょう。じゃあ生きるっていうのは、その、「先」のために生きていくということでしょうか?

「先のことを考えると」

「先のことを考えて」、「将来のことを考えると」などなど、こういう言葉を、親が子どもに向かって言っているのを、よく聞きます。
多くは、子どもがあまりかんばしくない選択をしようとしたときに。勉強をしないとか、学校をやめるとか。
「先」っていうのは、なんでしょう。
じゃあ生きるっていうのは、その、「先」のために生きていくってことなのか? と思ったりしませんか。
します、わたしは。

 

子どもは大人になるための存在?

「大きくなったらなにになりたい」とか「どんな大人になりたい」って言葉もありますね。
なにかになることや、大人になることが前提の成句。
でも、なににもなんなくたってよくない? 子どもは大人になるための存在なのか?

一見似た言葉で、実現したいものについては、こと細かく、ごくごく細部まで思い描けと言います。
これは「先のこと」のようにみえて、実際には「いまのこと」を考えている。いまの自分のためのこと、です。
未来設計や、将来のこと、先のことを考えるのは、そのころの自分のためのこと。
いまはそう思えなくても、あとになればきっと、という。

そうだ。「あとで後悔するよ」って、言いますね。理屈のない脅し。
でも、後悔することは別にわるいことじゃないし、後悔しないかもしれないし。
なにより、ほんとうに子どもに後悔してほしくないから、という気持ちから出てきた言葉でないことくらい、わかってしまうし。

 

失敗ということ

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そういうのはどれも、失敗というものがあると思っている言葉だなあ、と思います。
先のことを考えないといけないのは、そのときになって失敗だということになるとまずいから。
将来のことを考えないといけないのは、取り返しがつかなくなるから。
目指すものを用意しておかないと、こわい。

でもはじめから「失敗」や「負け」というものがなければ、どれもひとつの出来事にすぎません。
失敗はわるいことじゃない、という風潮があるけれど、ほんとにそう思っているひとはどれくらいいて、なにが失敗だか、どれだけのひとが明確な答えを持っているんだろう。
実際、そんなものはないと思う。

 

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