こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
ゲームをやめさせる方法とか、ゲームをやめない子どもの対処法について、多くは暴力的な解決方法ばかりなんだなというお話しと、その危険性とわたしがおもう解決法。
もくじ
ゲームをやめさせる方法やゲームをやめない子どもの対処法のQ&A
2月13日に投稿した記事「 ぼくはゲームが好きです!子どもがゲームをやめないといけないのはなぜですか? 」を書くにあたって、ゲームをやめさせる方法とか、ゲームをやめない子どもの対処法などのQ&A、「Yahoo! JAPAN 知恵袋」をみたりしてました。
世間の認識を知りたくて。
見たかぎりでは、暴力的な解決方法ばかりだった。
そこにあるのは見事なまでに「支配と服従」。
解決とはいえない。
暴力的な解決方法
とにかく多かったのは
時間を決める
↓
守らなければゲームを取り上げる。もしくは、ゲームを捨てる。または、叩き落として破壊する。
どうみたって親と子が「話し合って」決めたんじゃないんだろうなっていうのはわかります。
この「時間を決める」にしても、1日1時間とか、1日30分、ストップウォチを持たせて守らせていますなんてのもあった。
なかには1日10分とか。
やっていいのは、土曜日と日曜日のみ、とか……。
ゲームをやってるときに親に呼ばれたら(いったんゲームを置いて)すぐ来る、とか……。
犬みたい。
でもって、時間を守らないと禁止、取り上げです。
セーブしてなくっても問答無用強制的に電源を切る、というのをはじめ、叩き落として破壊させて絶望感を与える……なんてのもあった。
ヒトラーやスターリンみたい。
書籍、 独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) をおもいだした。
この本は独裁政治のためのマニュアルではなく、独裁者たち自身も支配されている構造・ルールを知ることで、独裁政治に対抗していこうというもの。独裁をなくしたいならしてはならないことや、民主主義と独裁の決定的な違い、カネの出所について語られたりしています。
なんで時間を守らないと禁止、取り上げるのか。
約束 だから。
時間を守れないようではしょうもない人間になるらしいです。
でも、でも、勉強だったら時間をオーバーしてもいいんだよね?
なんかこれって、遅刻に厳しく残業にルーズな日本社会みたい。
命令したがる人は命令されている人
ゲームを1時間使用したら、24時間はプレイできない設定を付けてほしいというのを何件か読んだ。
でもさ、こんな機能が付くのを待たなくたって、親も、スマホは1日1時間とか、1日30分、1日10分、、、と使用時間子どもと同じにして、ストップウォチを持って時間をはかって1秒たりともオーバーしないように徹底して使えばいい。
子どもに約束を守らせたいんなら、まずは自分が守ればいいよね。これならたった今すぐできる!
もちろんスマホをやってるときに子どもに呼ばれたら、すぐスマホを置いて子どもと向き合います。
舐められたらいけないらしい。だから言うことをきかす……。
子どもが言うことをきかないのは、日ごろ親が子どもの話をきかないから。
子どもの都合はおかまいなしに、自分(親)の都合や価値観を優先して押しつけるから。
こういう親は、たとえば9回裏ツーアウト満塁三点差、逆転サヨナラ満塁ホームランになるか!! の場面ででも、さっさと風呂に入れと言ってテレビをパチンッと消す。(近鉄・北川博敏選手の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランはすごかった!!)
野球が好きな親ならこの場面でテレビは消せないです。
仮に子どもが「パパ、お風呂に入る時間だよ。いっしょに入ろー」と言って、テレビを消そうものなら大目玉を食らうでしょう。
でも親は子どもの「好き」を、「いま」を、無情なまでに邪魔します。
子どもがゲームしかしなくなる理由
親が漠然と恐れているのは、「ゲームしかしない子」になったらどうしよう……じゃないのかなと思います。
「ゲームもする子」は、まあ、まあ、許容範囲だけど、中毒になったらどうしよう……って。
それでなくったって、自分(親)が忌み嫌っているゲームなんかを好きになって、楽しそうにやっているわが子を見るのは、強い警戒心、恐怖からくる不快感に犯されます。
だから制限をかける。
吐く言葉も正論になります。「そんなことでどうするの!!」と。(正論は人を傷つける)
その結果、「ゲームもする子」であったのに、「ゲームしかしない子」に親自らが追い込んでいく。
「言って聞かせる」は、相手を信じていないというメッセージになるからです。
そこには「自分が言われたらどう感じるか」という想像力や、健全なる他者性がありません。
相手と自分は違うんだということに気づく
心ではなく、頭で子育てをするのはとても危険だとおもうんです。
頭で子育てをしちゃうと、子どもというのは仕組みややり方で育つのだと勘違いして、社会の中での結果としての子育てが目標になってしまいます。自分の魂の体験が抜け落ちた、実態のない目標。
そんなんしてたら子どもの吐く言葉に気をとられ、子どもの行動を、メッセージとして読めなくなってしまう。
一方的に子どもに価値観の一致を条件つけるなんて、不可能に近い要求じゃないですか。
ゲームをやめさせる方法や、ゲームをやめない子どもの対処法(ゲームに限らず)は、相手を変えようと脅しをかけるのではなく、話し合う。
にんげんは「話す」ことができます。
「言って聞かせる」は、相手を信じていないというメッセージになると先に書きましたが、かたや、自分の気持ちを正直に話すことは、相手を信じている証です。
話し合う。それは相手を説得させるためではなく、相手と自分は違うんだということに気づくため。違うことを受け入れていくため。お互いの存在を愛する。