AI-amの星山 海琳(ほしやま まりん)です。
ここでは、小・中・高校と学校に通わずに、勉強もしてこなかったにもかかわらず現役で大学に入学したわたしの思う「学校に通わなかったことでよかったこと10」や、好きなこと 、簡単な経歴などを書いています。
こんなことが好きです
書く
字も、文章も、とりあえずなにかを書くのが好きです。きれいな言葉をみていると幸せ。
もちろん読むのも大好きです! 外に出るときは、カバンに最低一冊は本が入っていないとおちつかない。
写真を撮る
あれを撮ろう、と思ってカメラを持っていくことはほとんどありません。
ふだんの街や旅先で、ふらふら歩いているときにぱっと目にとまったものを撮ったりしています。
その場所で時間を忘れてひたすら撮るので、目的地へ行く途中に立ち止まってしまうとあぶない。

好きな音楽を聴く
家にいるときはスピーカーから、外ではiPodから、音楽を聴きます。
60年代のサウンドがすごく好きで、聴くのは60年代〜90年代のものがほとんど。
好きな服をみる
好きな服を着るのはもちろん、映画や雑誌などでとっても格好いい、かわいい、粋なファッションをみているとめちゃくちゃテンションがあがります。
旅に出る

どこかへ行く、という行為がとても好きです。
新しいものが好きだし、もともといたところがもっと素敵にみえてくるし、なにより、わくわくしてしょうがない。
英語はまったくできないけど、よく海外に行きます。
学校に通わなかったことでよかったこと10
わたしは現在大学生ですが、小・中・高校に通わずに過ごしてきました。
学校に行けない子どものことを不登校と称したりしますが、わたしの場合は自ら学校へ行かないことを選択した子どもでした。
その生活のなかで、学校に通わなかったことで「よかったな〜」と思えることをあげてみます。
(関連→子どもが不登校になってよかったことベスト10:吉田 晃子)
とにかく好きなことができる
学校で過ごす時間や、興味のない勉強をしなければならない時間。
そんな時間も、ずっと自分の好きなことを好きなだけ続けていられる。それはとってもハッピーなことだし、子どもはどんどん世界を深め、広げていきます。
もちろん、知識も経験も理想的な形で身につく。そして「自分の好きなこと」を見失わずにいられます。
世代の広いともだちができる
学校に通っていると、基本的には同年代の学校のともだちと遊ぶことが多いですよね。
わたしの場合は同年代のともだちよりも、自分よりも10、20、それ以上年上のひとたちが多くて、これは今も変わっていません。学校の場以外での出会い、交流が多いと、よく見られる傾向ではないかと思います。
また、6歳のころにはパソコンをごく自然に使っていたので、ネットのなかで知り合った、年齢や性別、地域などがさまざまなひとと交流を深めたり、共通の話題について喋ったりしていました。
行きたいときに行きたい場所へ行ける

「学校」という時間と場所の制約がなければ、思い立ったときにいつでも、好きな場所へ行くことができます。
それは海外への旅というときもあるし、ちゃんぽんが食べたいから長崎、あの本が読みたいから図書館、というときもあります。自分の興味関心を、すぐさま実行に移すことができていました。
がんばらなくていいことをがんばらずにいられる
つらいけど学校に行くとか、したくないけど勉強するとかいう「がんばり」は、置き去ってしまっていいものだと、わたしは思っています。
そういうがんばらなくていいこと、がんばりたくないことをがんばらずにいられました。
家族とたくさんの時間を過ごせる

子どものうちに、家族と長い時間を過ごすことは、ほんとうに大切です。強くて深い信頼関係も、しっかり根づきます。
もちろんいっしょにいることが苦痛になってしまうような関係ではないことが前提だし、だからといってべたべたくっついているわけでもありませんが、好きなひとたちといっしょにのんびりと過ごすことは、とってもしあわせなことです。
世界が広がる
学校のように、向こうから「提供されるもの」を受容するのではなく、自分の側からものごとに飛びついていく。人は、とくに子どもは学ぶことが大好きです。
学校へ行かないことで世界が縮まっていくなんてことはそうありません。むしろ枠がはずされて、どんどん広く大きくなっていくのだと思います。
流行にのる必要がない

だれかとの関係を保つために流行にのる、ということが、学校では特に多いのかもしれません。
学校に行かない、学校以外のひとたちと関わりあっていると、そういった集団意識を持つことはあんまりないので、とても楽です。
制服を着ずに毎日過ごせる

その日その日の気分で、好きな服を選んで、身につけて街を歩く。
とってもハッピーで、より自分らしく過ごすことができていました。
勉強しなくても大丈夫なことがわかった
受験するためにとつぜん勉強をはじめた17歳まで、わたしは一切の勉強をしてきませんでした。
勉強をしないと最低限の知識も身につかないとか、忍耐力もつかないといいますよね。
でも実際に、学校へ行っていなくても勉強したことがなくっても、生活でどうにもならないほど困る出来事なんてないことや、アルバイトをしたり、ごくごく自然と社会に身を置けることなどが、身をもってわかりました。
学校12年間の勉強が2ヶ月半で終わることがわかった
大学へ行こうと思い立った17歳の夏、まず高認試験のためにはじめて勉強をしました。
試験まで2ヶ月半の期間で、数学にいたっては足し算引き算もまともにやったことがない状態から、全8教科に独学で一発合格。本来12年かけるはずの大学へ行く資格が、たった2ヶ月半で済むということがわかりました。
星山海琳の簡単な経歴

わたしは、小・中・高校に通わず、デモクラティック・スクール(サドベリースクール)や、その教育のあるところに携わってきました。
その後、高認試験に合格し現役で大阪芸術大学へ入学。4年後、卒業しました。
小学校をやめる
小学校に入ってしばらくして、学校へ行くことをやめました。
入学式の日からとにかくいろんな違和感がいっぱいで、学校への興味も魅力もすっかりなくし、もっと広い目でちがう学校を探してみたとき、デモクラティック・スクール(サドベリースクール)に出会ったのです。
デモクラティック・スクール(サドベリースクール)はわたしにとってすごく魅力的な場所で、一年生のときに出会ってすぐ大好きになりました。それからは気分によって、たまーに小学校へ行ったり。
そしてあるとき、自分にとってもう「(従来の)学校はいらない」と、はっきり思えたのです。それからは一度も行っていませんし、籍を置いていた中学にも、高校にも、行ったことはありません。
デモクラティック・スクールの日々と「デモクラティック・フィールド のらねこ」
6歳から通いはじめたデモクラティック・スクール(サドベリースクール)。
アメリカ・ボストンのサドベリーバレースクールの理念をもとに、勉強やテスト、カリキュラム、時間割、クラス分け、先生(教師)といったものなどがなく、子どもたちが自ら学び成長していく。
子ども、大人、そこにいるすべてのひとたちが尊重されていて、本来の自由と責任を、ただ「自分がそのときやりたいことをやる」なかで、からだで学びとっていける場所です。

わたしは通っていたデモクラティック・スクールを11歳で卒業して、それからしばらくはスクール以外の場所や家で気ままに遊んでいました。
そしてあるとき、スクール在籍中から気になっていた、「学校(スクール)」と「家庭」という、子どもが過ごすふたつの場所のちがいについてひらめきます。
デモクラティック・スクールで原石のようにかがやきを放ちながら過ごす子どもたちが、スクール以外の場所ででもしあわせに過ごすには、家庭がしあわせでなくちゃいけない。そのためには、世界中のお母さんひとりひとりがしあわせな世の中になればいい。
そうして2008年に「デモクラティック・フィールド のらねこ」が誕生しました。
おとなが学べるサドベリー・コミュニティアートとして、主におしゃべりや旅、ものづくりを通して、頭ではなく肌からつたわる、生活をアートに変えるヒントを提供しています。
小・中・高校に通わず大学へ

17歳の秋近い夏、とつぜん大学へ行こうと思いたちました。
学校の科目勉強には興味がなかったので、小学校のはじめからついぞ勉強をしたことがない。
そのわたしが大学へ行くためには、まず高等学校卒業程度認定(旧大検)の資格を取得する必要がありました。
このときは18歳の現役で入学する、というところにもこだわっていたので、冬11月の高認試験にむけて、約2ヶ月半の期間で全8科目の勉強をはじめました。
算数では足し算・引き算から、ほかにも歴史や理科、社会などまるっきりはじめてのものも。(関連記事→小・中・高校へ通わずに18歳で大学へ)
結果的には、たとえば算数は計20時間・数学は計12時間の勉強で、計8科目に一発合格することができました。
それから明けて2014年の大学入試を受け、18歳で志望校の大阪芸術大学に合格しました(2018年卒業)。
2016年には、よっぴー と共著で『小さな天才の育て方・育ち方-小・中・高に通わず大学へ行った話』を出版しました。
AI-am

「デモクラティック・フィールド のらねこ」は、どちらかといえば草原のような、土地のような、実際に建物があるわけではないけれど、踏みしめることができるような場所でした。そして通りすぎていける場所。
もちろん教育とおおいに関係がありますが、それよりもただ単純に、ひとりでも多くのひとたちがしあわせになっていく、やりたいことをやっていく、のらねこはそういうことを望んでいます。
2016年1月に誕生した「AI-am」は、とにかく発信・発振をしていくところです。
いまいろんなものがどんどん新しく、さまざまな形を実現していくなかでなぜか取り残されている「教育」とか「学び」の、これからの話をしよう、と。
デモクラティック・フィールドのらねこが、いろんなひとたちが訪れて満足しては通りすぎていく場所なら、AI-amは踏みしめるような土地があるわけではなくて、けれどいろんなひとたちが集うような場所になると思います。それで、みんながそれぞれにいろんな選択をするところ。
しゃべったり、遊んだり、考えたり。たのしく、陽気に、ちょっとまじめに、軽く。
はじめまして!
Junと言います。
友人の木村聡のfacebookにこの記事が流れていたので、読まさせて頂きました。
とても、気づきが多い記事でした。
なので、文章の一部を私のブログで引用させて頂きました。
(すみません。引用のルールをこのサイト上で確認できなかったので、事後報告になってしまいました。)
もし、問題があるようでしたら削除しますので、お教えください。
引用させて頂いた記事
毎日”物理的”にあっていても、心が通っていないこともあるから〜
>>http://www.affect1-2.com/jun/management/understand-each-other
よろしくお願いします。
jun さま
はじめまして、コメントありがとうございました。
引用大歓迎です!すごくうれしいです。ありがとうございます。
わたしも、大人(社会人)になってからのほうが、人との付き合いであるとか、そういう環境を自分の好きな形につくりやすいよなあと思っています。
自由がきかなくなるなんていうのも、むしろ逆じゃないのかなあとか。
記事、とても興味深く読ませていただきました。ぜひぜひ、またご縁があるとうれしいです。
ありがとうございました!
返信 ありがとうございます!
ご縁があることを祈っています。お逢いできる日を楽しみにしてます^_^
※コメント気づくの遅くてスミマセン…
文章を書くのがすきなんですね!私は気持ちを言葉にするのも苦手で、文章も苦手。だけど自分は、本を書きたい。お手伝いしてもらえないですか?
はじめまして!ありがとうございます。メールを送らせていただきました!
こんにちは、
中2のムスコが今不登校で1年くらい全く学校に行っていません。
でもここのページにたどり着いて大分心が軽くなりました。
勇気をもらいました。
今は未だムスコは辛そうにしていますが、親がいかなくても何も問題ないと心底信じれば良いのですね、、。
実践して行きたいです。
ありがとうございます。
みおんさま
お返事が遅くなりすみません。
そう言っていただき、とてもうれしいです。ありがとうございます!
みおんさんのように、親御さんがそう信じきれたときに(信じるという感覚もないくらい)、子どもはすっと楽になるんだろうな、と思います。
こちらこそコメントありがとうございました!