こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
子どもが学校に行かなくなって、そのことで湧き上がってくる不安には、
- 勉強が遅れないか不安
- 不登校だと進学できるのか、進路のことが不安
- 不登校のままだと社会に適応できなくなって、ひきこもりにならないか、不安
- 子どもが不登校なので、将来、就職して自立できるか不安
関連記事:子どもが不登校になると生じる10個の不安と解消法 より
など、あるかと思うのですが、
これらの欲望(「悩み」と思っている事柄)が湧き上がってくるのは、不安を怖れているから。怖いけど、不安に飛び込み、不安の正体を確認しようよ! と、
飛び込み方と、不安の正体を前編で書きました。
>>> 子どもが不登校になって不安になるのは当たり前。なにが「不安」なのか不安の正体を確認しよう【前編】
今回はそのつづき、後編です。
もくじ
子どもからお金(現金)を遠ざけない
学校をちゃんと出ていなかったら、ちゃんと仕事して、ちゃんと稼ぐことができないのではないか?
だから、中学3年間、学校に行かなかった子どもや、行ったり行かなかったりを繰り返した子どもに、「中卒ではどこにも就職できないから高校だけは行きなさい」などと嘘を言う。
そんないじわるなことしないで、中卒でも収入を得ている人(わが家の 息子 のように)がいることを知り、
“就職する” (=雇われる)という思考回路しか持っていなかったことに気づき、
なにより、子どものうちから、お金(現金)にどんどん触れさせたらいいと思うんです。
子どもからお金(現金)を遠ざけるのって、性を抑圧して子どもから遠ざけるのと似ていると思いませんか?
「稼ぐ」経験
大人になって、「はい、今日から稼ぎます」といった境界線ができちゃうような環境ではなくて、小さなころから「稼ぐ」経験を積んでいけばいい。
家のなかでだったら、浴室洗いをしたら◯◯円とか、靴磨きは◯◯円、肩たたきだったら◯◯円といったように。
でもって、新人社員を育てていく意識でもって、ちゃんと仕事ができていくように教えていくの。
で、で、一人前になってきたら、親が子どもにお給料として渡すのではなくて、子どもが買い手である親から代金として受け取ればいい。
※ 例外的に演劇の子役などを除き、労働基準法により、原則として満15歳に達した日以後の最初の3月31日が終了する(義務教育終了)まで、賃金を貰って仕事をすることができません。
ここでいっているのは、実際はお手伝いで、そこでの稼ぎであり、感覚としての話です。
ちなみにわが家では、家事や家族の頼み事をするのに、お金のやりとりが発生するのは、家族全員イヤだったので上記の稼ぎ方はなかったのですが。
6歳でホームページを作ったりして遊んでいた まりん さんは、ホームページ作りや、Word入力など(今は文字読み取りアプリがあって便利!)知人などから頼まれたり、
素材屋や写真、フリーマーケット、ポスティング、その他もろもろ、たくさんの所から稼ぐことのおもしろさ、働くことの楽しさを経験されてました。
楽しむことが目的
わたし自身が子どものころにしていたことで、食費用のさいふを預けられて、残ったお金はもらえる、という稼ぎがありました。
家の晩ごはんを小学5年から作るようになって(買い物も)、はじめのころは母が書いてくれたメモを見ながら買い物をしてたんですね。
そのうち慣れてくると、食費用のおさいふを預けられて、メニューも任せられて。で、余ったお金はもらえる! そりゃね、がんばりますよ(笑)。
もうね、安くて豪華にみえる&すぐにできる料理が得意になりました。
儲けることが目的なんじゃなくて、楽しむことが目的なんですよね。
家族が喜ぶ顔を「自分が」見たいから働く。
この経験は、結婚した初日から、子どもたちが生まれてからも、おおいに役に立ちました。今も!
まだ学校に行ってるの? 同様、まだ家なんて買ってるの?
中学出て、高校出て、大学出て、就職して、結婚して、家買って、、、って、そんな時代ではなくなっていきます。
家にしたって、現在、子ども年齢の人たちが大人になるころなんて、いま以上に、家を買う人なんて少なくなるでしょ?
人口は減っていき、世帯数の増加も止まります。持ち家の持ち主は亡くなり、廃虚化や老朽化、スラム化した家が彼方此方に建ったままになる(更地にしたら固定資産税がさらにかかる)。
持ち家じゃなかったら一人前の大人としてみてもらえない… そんな価値観は過去のものになるでしょう。
若者が車を買わなくなったと言われているけど、稼いだお金を出して負債(車や家)を買うなんてしませんよ(田舎だと車は必需品なんですよーとかを言っているのではなくてね)。
能動的かいなか
不登校をしているか、不登校をしていないか(学校に行ってる)は、商売をしているか、商売をしていないか(サラリーマンをしている)みたいなもんだし、
>>> 不登校をするのと不登校をしないのは商売人とサラリーマンの気質の違いと似ている
ひきこもりをしているか、ひきこもりをしていないかは、研究肌か、営業マン肌みたいなもん(営業マンしてるけど、ひきこもってる、ってのだってあるけれど)。
>>> ひきこもりはひき個守り< 3/25 >親も子もハッピーに過ごすために ~子どもを100%信じるってなんだろう?~トークライブ in 滋賀県長浜市レポート
ニートはメディアが流行らせた言葉(「不登校」や「ひきこもり」もそうだけどね)で、ちょっと前には「プー太郎・プー子」の流行語がありましたよね。
昔っから、ぐうたら亭主や、ヒモの方はいるし、家事手伝いの人もいます。
ニートという表現でなくても、「失業中」、「休職中」、「就職希望者」、「浪人」といった言葉でええやん、って思うけれど、まっ、また数年後には新しい流行語が造られていくんでしょうね。
>>> 不登校は自分自身が幸福であるための生き方のひとつ
稼ぎより大事なもの
稼げるようになるのか? より、重視していきたいことは、生き方だと思います。
いくら稼ぐのか? より、自分に問うことは、働き方だと思います。
多種多様化していく社会のなかで、自分はどんな生き方が心地いいのか、どんな働き方を好むのか。
ひとつの会社、ひとつの職業から、収益を得ていくのではなく、収入源が、2箇所、3箇所、、、5個、10個、、、そんなの当たり前になります。
正社員である必要もなくなります。
学校に行くのもいい、行かないのもいいように、働き方も従来の資本主義的枠組みでいてもいいし、多様化した新しい働き方もいい。
どちらかに属するというのではなく、どっちも混ざっててもいい。
いま仮に、子どもさんが、ユーチューバーになりたい! と言っているんであれば、水をささずにいることだと思います。
学校に行かないことを選んだ子どもの親がすることは、子どもの心配ではなく、学校信仰から解き放たれたように、資本主義的枠組みの思考回路をゆるましていくことです。
親も自由になって、ほんとの意味で、ちゃんと仕事していこう。
今日の本
お金2.0 新しい経済のルールと生き方/佐藤 航陽
〈資本主義を革命的に書き換える「お金2.0」とは何か〉
2.0のサービスは、概念そのものを作り出そうとするものが多いので、既存の金融知識が豊富な人ほど理解に苦しみます。あまりにも既存社会の常識とは違うので「今の経済」のメインストリームにいる人たちにとっては懐疑や不安の対象になりやすいといった特徴もあります。そして、それこそが全く新しいパラダイムであることの証でもあります。本書ではまずお金や経済の仕組みから、テクノロジーの進化によって生まれた「新しい経済」のカタチ、最後に私たちの生活がいかに変わるか、の順番に解体していきます。