こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山 海琳 です。
ネットでできた友だちと、会って話したり遊んだり、旅行に行ったりする。わたしにとってはすごく自然なことです。
「友だち」を学校や職場で出会う相手に限定するのって、古い、と思う。
ネットで友だちができるのは自然なこと
子どもがネット、SNSで友だちをつくったりすることを極端に恐れたり嫌悪する大人は多いけれど、それってほんとーにばかばかしい、といつも思う。
わたしがインターネットに触れはじめたのは2000年ごろ、4歳くらいだった。
それ以降ずっとネットに親しんでいて、時代も進み、そこで友だちができることはわたしにとってはめちゃくちゃ普通で、むしろすごく自然なこと、と認識している。
「そのへんの地域の子どもが集まった教室」に長居しなかったからか、学校とか職場とか、ほとんどなんの共通点もなくたまたまその場に居合わせただけの相手と友だちになる、ってことのほうが、よくわからない。
「リアルの友だち」と「ネットの友だち」のやることに大した違いはない
「ネットの友だち」とだけ聞いてそれは危ない、と考える大人が多いかもしれない。
実際、親御さんにそういう話をすると、ほとんどの場合、否定はされないまでもちょっと引かれる。
他人のわたしに「引く」んだから、それが自分の子どもならあれこれと口を出すだろう。否定的に。
「ネットの友だち」って、具体的になにか。
ツイッターなどでなにか共通の趣味をつうじて知り合うとか、オンラインゲームで一緒にプレイをしていて親しくなるとか、今はそのあたりがポピュラーだと思う。
もうけっこう廃れてしまったけど、チャットで知り合うルートもよくあったし、mixiなんかも、好きなものが共通している相手を見つけやすいSNSだった。SNSの前はブログとか、ホームページとか、掲示板とか。
いずれにせよ、(出会うことそのものを目的としている場合を除いて)ネットで知り合う相手、ましてや親しくなる相手には、共通した話題がある。
好きな歌手でも作家でも、バイクでもスポーツでも映画でも、絵を描くことでも写真を撮ることでもなんでもいいけど、
いきなり「友だちになろう」ってわけじゃなく、なにかお互いの興味が向くものについて話したりするうち、考え方や言動に惹かれる相手や気の合う人と友だちになっていく。
わたしもそうやって出会った人がたくさんいて、ネット上でだけ話す相手もいるし、会って話したり遊んだり、旅行に行ったりする相手もいる。
そうなるともはや、「リアルの友だち」と「ネットの友だち」のやることに、大した違いはない。
「どんなお仕事されてるんですか?」「なにが好きなの?」「趣味は?」「付き合ってる人は?」みたいなしょうもないやりとりじゃなく、あの人うざいよなー、みたいな日々の愚痴でもなく、好きなものや考えていることについて話すことができるのって、すごく楽しい。
否定する親と、それをみている子ども
席がとなりだから、クラスがおなじだから、同僚だから仲よくなろうっていうのとは、そもそものスタートが異なっている。
(だから、大学や専門学校、専門的な仕事、考え方や好きなもの、関心のあるものが共通した人々の集まる学校や職場はちょっと例外なんですけど。)
そういうところで好きな相手に出会えるのって、実はめちゃくちゃ奇跡的な確率だと思う。
ネットの友だちって、「友だちになる過程」としては、とても自然だ。
範囲が広がるから、好きだと感じる人と出会える確率も高い。
媒体を変えれば、こういうのは昔からあった。雑誌の投稿欄から文通がはじまる、とか。
親自身は自分が若かったころに経験しなかったものだからよくわからない、というのはよくわかる。「よくわからないもの」が怖いのも、わかる。
けれど、(自分や近しい人がそれで痛い目にあったならまだしも)全然わからないからまず否定する、というのはどうだ。
思考停止して、自分のわからないものや知らないものを否定して取り上げる親を、子どもたちが見ている。
そんな子どもたちが、そんな大人のいうことを信頼するわけもない、というわけで。