こんにちは、AI-am(アイアム)です。
影があるところには光もあると言われますが、不登校だって同じことです。
「不登校は暗い」と思われがちだけど、「暗い不登校」もあれば「明るい不登校」もある。
暗い/明るいっていうのは性格じゃなくて、視界の晴れやかさ、心の軽やかさみたいなものです。「楽しくない不登校」「楽しい不登校」っていうのかな。
このどちらの位置に立つかは、自分で決められるんです。
「明るい不登校」に立っているお母さん、そちらへ向かおうとしているお母さんたちの集う場所、
よっぴー・まりんの運営するオンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」が、本日、2年目に突入しました!
自分を知ること、他人を知ること
なにかを悩むなら、家や部屋に引きこもらずに、都会のカフェで引きこもろう。
なぜなら、そこではたくさんのひと、たくさんの在りかたを見ることができるからです。
自分のことを知り、自分の向かいたい方向を具体的に捉えやすくなる。
「お母さんのじかん365」にも同じ要素があるなあと、1年続けていて、思いました。
「お母さんのじかん365」には、
陽気なひと、おだやかなひと、静かなひと、多弁なひとがいて、無口なひと、都会が好きなひと、田舎が好きなひと、旦那さんがいるひと、シングルマザーのひと、仕事も好きなひと、仕事より家庭にいたいひと、子育てが好きなひと、子育てが嫌いなひと、インドアが好きなひと、アウトドアが好きなひと、
などなど、いろーんなメンバーがいます。
誰もが、干渉し合わない。
「これだけがいい」ではなく、「これもよくて、あれもいい」。
それは性格・人間性についてもそうだし、子どもの好きなもの、学校との関わりかた、登校スタイル、なんでもそうです。
みんなに共通しているのは、「学校に縛られていない・縛られたくないと思っているひと」「親の思う子どもではなく、子どもは子ども自身のまま育ってほしいと考えている」ということ。
十人十色の集まり
不定期(年4回ほど)のオフ会に加え、夏には、合宿をしました。
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これも、いろんな色の集まりでした。
住んでいるところも職場も、(親自身が)育ってきた環境も、好きなものも、生活スタイルも、みーんな違う。
でも、「学校に縛られていない・縛られたくない」、「親の思う子どもではなく、子どもは子ども自身のまま育ってほしい」、そんな「お母さんのじかん365」が心地いいと感じるという共通点をもったひとたちで、2泊3日を一緒に過ごしました。
どんな過ごし方も素敵、そう思っているひとたちのなかにいれば、みんなが、自分のしたい過ごし方をすることができます。
合宿中ずっと誰かとおしゃべりしているひともいれば、縁側に座っているひと、本を読んでいるひと、いろんな過ごし方がありました。それは、子どももおなじ。
親がそんな場所で過ごすからこそ、その感覚を家庭に持ち帰ることができるし、そうしてやっと、子どもも自分の心地よさを手にすることができます。
合宿ではたとえば、こんな感想などなどが。
- 「読む」「聞く」とは違って、「見る」の威力はすごかった。
- お互いを尊敬しあってる心地よさかな。よっぴーさんとまりんさんの親子のやりとりを見ているだけで、心が洗われるようだった。
- ジャッジされずに育ってきた人のデカさを目の当たりにした。
- 「対等」ってどういうことか、全くわかってなかった自分を知った。
- 明日から、じゃないんだ。
- 居るだけでいいんだー、って肌で感じた。
- ずーっと忘れてた、子どもの頃の気持ちをだんだん思い出した。
- 2泊3日一緒にいることで、(子育てにおいて)「頭をからっぽにする」ということが、はじめて、からだでわかった。
- 子ども(子どもだけではなく自分以外の他者すべて)と向き合うということが、どういうことかわかった。
- (耐え難い悲しいことがあって)体全身でわんわん泣くよっぴーさんに、「信頼される」ってこういうことかって思った。
- 深まる安心と、広がっていく自分を感じた。
- 視界がぐーんと広がった。
- フットワークが軽くなった。
- 「今を生きる」ということをはじめて体験した。
- 本当に自由で、みんなが暖かくて、優しくて、とても居心地よかった。
- 深い愛を感じた。
- 家族みんなであの場で過ごしたことは宝物!
- 最高に楽しかった!!!!!
- いまも意味もなくワクワクしている。
- 冬もしよう!
- etc
でも、もちろんこの合宿には参加しない仲間もいるし(参加したいひとがいるように)、普段から書き込みをしない仲間もいるんです。
お母さんのじかん365にないもの
ひとつの集まりにおいて、積極的なひとはイイけど、消極的なひとはちょっとね、みたいな感覚って、世間にはあると思うんです。
あるいは、問題を抱えていないひとはよくて、問題を抱えてるひとはよくない、とか。
「お母さんのじかん365」には、そういう空気がない。1年経って、仲間たちのおかげでそんな場所になったことが、わたしたちはとってもうれしく思っています。
悩んでいるひとに、「大丈夫」とか「元気になってね」と言ったりすることはありません。いっぱい悩んで苦しむのがいいと思う。
でも、ひとりでは抱えきれないときにそれを共有できないこと、共感しあえないことに、あえて苦しむ必要はないとも思う。
書き込みをしないけど参加しているっていうのも、なんにもおかしな状況ではないんですよね。
それこそが、カフェの中から窓の外を眺めるような心地よさだし、学びだと思っています。
あと、わたしたちがうれしいなあと思っているのは、もう学校に縛られていないひと、子どもの育ちかたに干渉しないひとたちが、「もう私は大丈夫だから」とコミュニティを離れることをしないでいるところです。
実際こういう考え方は、数字で見ればまだまだマイノリティで、共通した価値観をもっているひとと集まったり遊んだりできる希少な場であることは確かです。
でもそれだけじゃなくて、学びって、「もう大丈夫」と思ったら、そこで止まっちゃうんですよね。
いろんなひとの書き込みや、Zoom(月2回、Zoomを使ってみんなでおしゃべりしています)でのおしゃべり、オフ会や合宿などなど、自分が問題らしい問題を抱えていないときにも、学びは延々続いていきます。
それって、すごく価値のあることだと思う。
これがいいのだ。
あれもそれも、これもいいねって空気を、大人になってひしひしと感じられることって、一般的にはとても少ないんですよね。
この「お母さんのじかん365」で受け取った空気が家庭に流れていって、子どもの豊かさにつながってくれていること、こんなにうれしいことはありません。
不登校は暗い、と世間一般では思いこまれがちだし、テレビだって新聞だってまだまだそんな情報を流してばかりいるし、そんな不登校をすることももちろんできるけど、そうじゃないひとたちが集まる場所も、こうしてあります。
「いつもここにある場所」であり続けますので、おいで。
ここで遊ぼう。
ここで笑おう。
ここで泣こう。
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