こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山 海琳 です。
友だちはみんな、「仕事やめたい」「働きたくない」という。
「仕事はいやなもの、働くのは我慢のいること」。
その前提はいつ、どこで育っていくんだろう?
子どもが親に望むもの。親の生きかたしだいで、子どもの人生は楽しくなる。
仕事が楽しくないのは、仕方ないこと?
同世代、二つ三つ年上の友だちに会うと、毎回必ず、決まって「仕事やめたい」「働きたくない」という。
明日からまた仕事だから、帰りたくねー、という。
いいながら帰っていき、仕事へ行って、次の日にはまた「もうやめたい」「風邪ひいて休みたい」とか話し、翌日もまた、仕事に行く。
それってようするに、仕事が楽しくないってことだ。
楽しいことなら、したいに決まっている。ときどき疲れることはあっても。
そういう人にわたしが「仕事が楽しい」というと、そりゃそれがいいけどね、普通そうはいかないよねー、いいなー、みたいな反応が返ってくる。
仕事が楽しくないのは、仕事の内容が楽しくないから?
職種は好きだけど職場や労働の環境が悪い、って場合もある。
じゃ、それは、仕方がないことなのか?
そんなもんだから、しょうがない?
赤ちゃんのなかに前提はない
この国には我慢という美徳と、「そんなもんでしょ」という諦めがはびこっている。
どちらにも共通する前提は、物事はつらいこと、つまらないこと、というもの。
過去の文豪たちの厭世観よりよほどタチがわるいのが、現代のそれ。
前提はいつ、人のなかに作られるんだろう?
生まれたときには、本能以外になにも持っていなかった赤ちゃんが、年月を重ねるにつれて、どんなふうに前提を構築していく?
たぶん、見るもの、聞くもの、触れるもの、五感のすべてで、わたしたちは前提を固めていく。
五感が働いたものすべて、その子どもに影響を与えていく。
子どもにいちばん影響を与える場が家庭であるってことは、もう誰も否定しないだろう。
公園やテレビ、漫画、学校だって大きく影響するけれども、親のいうことやること、後ろ姿は、子どもの土台をつくっていく。
ほとんどの前提を、子どもは家庭のなかで受け取ったものから構築していく。
物事はつらいこと、つまらないこと、という前提も、例外じゃない。
仕事はいやなもの、働くのは我慢のいること。
あるいは、
仕事は楽しく、働くのはおもしろい、という前提だって。
親にだけ与えられる特別な機会
仕事はいやなもの、働くのは我慢のいること。
そんな前提を子どもがもっていたとしても、親そのひとが悪いわけじゃない。
みんな子どもだった、親やそれにあたる人がいたってことだ。
もしもその人が悪かったのなら、さらに前のその人だって悪かった。
わたしは親じゃないし、親としての目や心も持っていないから、好き勝手いう。
子どもとしてしてほしいことを、子どもとしてのわがままを、無責任にいう。
それが非現実的なのか、真実なのか、聞き流すべきことなのか耳をかたむけるべきことなのかは、大人たちがそれぞれに受け取ればいい。
それで、人としては少しも悪くないけれども、親になったなら、いまさら取り返しようもない誰かのせいにせず引き受けてチャラにしてくれよ、と思う。
どこに、いつに原因があっても、子どもにとっちゃあなたが親なのだ。
そしてそれは、「親としての責任」みたいな影を落とす荷物じゃなく、
「親にだけ与えられる特別な機会」みたいなものじゃないのかなあと、想像する。
そうであってくれたらいいのにな、と。
そうであってくれるだけで、子どもであるわたしたちの存在はもうじゅうぶんに肯定されて、日々は易しくなる。
2019年2月15日(金)、ネットライブで「仕事嫌いになるこども、仕事好きになるこども」についてお話をします!
月曜日の朝を、ウキウキワクワクしながら迎えてる人ってすくない。
それは、なんでだろーか? … 仕事がいやだから。
じゃあなんで、仕事がいやなんだろう?
いつから、いやになったんだろう?
学校行っている、行ってない、勉強している、していないじゃなく、こどもはみんな仕事をしている!
しかも、やりたくてやっている。
でも歳を重ねると、みんな仕事がきらいになる。
こどもを仕事嫌いにさせるのは大人で、こどもを仕事が好きなままにするのも大人。
これからの時代は、学校に行ったら生涯安泰の時代じゃない。
主体性がものを言う時代だからこそ、まず親が仕事を楽しんで、その姿をこどもに見せていこう!
料金780円だけど、めちゃ濃い話しまーす!
録画でも見られるよ。
↓↓ 詳細・お申し込みはこちら ↓↓