こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
映画、『ショーシャンクの空に』。ショーシャンクの刑務所に、これまでの学校を重ねて観ています。
もくじ
「食えと言ったら食え、クソをしろと言ったらしろ! 分かったかクズ野郎!」
ショーシャンクという名の刑務所が舞台の映画、『ショーシャンクの空に』を観たことがありますか?
人気のある作品だから、ふだんあまり映画を観ない人でも「観たことある」って方は多いのではないでしょうか。
そして『ショーシャンクの空に』に、希望をみる方は多いとおもいます。
一方でこの映画に、「学校」をみる方もいるかとおもいます。学校ってまるで刑務所だ、と。わたしはそのひとりです。
刑務所側の人間(=学校側) > 囚人(=子どもたち)。
この絶対的関係、支配と服従はまるで学校やん! とおもってしまいます。
囚人が暴動でも起こそうもんなら、殺されかねないですからね。
なめられたら言うことをきかなくなりますからね。
だから権威をふりかざして画一的に管理します。
「食えと言ったら食え、クソをしろと言ったらしろ! 分かったかクズ野郎! 」、刑務所のハドラー主任のセリフです。
だけど当然、子どもたちは囚人ではありません。
※以下、ネタばれを含みます。
「BROOKS WAS HERE」(ブルックスはここにいた)
長く刑務所暮らしを続けていたブルックス(主役のアンディが配された図書室の室長役)が、とうとう仮釈放に決まります。
やったーーー! ですよ。(尾崎豊じゃないけれど)支配からの卒業ですよ。
けれども仮釈放されてシャバに出たブルックスは、アパートの鴨居で首を吊って命を絶ちます。梁に「BROOKS WAS HERE」と刻んで。
塀の中には仲間がいる。自分がやってきた仕事がある。居場所がある。…できれば刑務所に戻りたい。
死にたくて死んだのではありません。本当は生きたかった。自分の存在をこの手でつかみ取りたかった。。。
「刑務所の壁はおかしなものだ。最初は憎み、次にそれに馴れてゆく。長い月日の間に依存するようになってしまうんだ」
『ショーシャンクの空に』は無期刑の問題を問う映画だとわたしはおもっています。
自分を由として生きたい。
しかし外界から隔絶した刑務所に長くいればいるほど、見知らぬ世界に対する不安と恐怖は増大し、元の世界へ戻れなくなっていきます。
塀に守られていないので不安になって怖くなる……。死にたくなる……。
「外の世界に出てなんになる? あの塀を見ろよ。最初は憎み、次第に慣れ、長い月日の間に頼るようになる」。
長過ぎる刑務所生活は刑務所に対する憎悪をかき消し、施設依存ともいえる精神状態を生みだしていきます。
「BROOKS WAS HERE , SO WAS RED」(ブルックスはここにいた。レッドもここに)
時が経ち、仮釈放されたレッド(主人公アンディの友人で調達屋)。
ブルックスがかつて住んでいた仮釈放された者が住む家に住み、ブルックスが働いていたスーパーで働きます。そうしてシャバに不安と孤独を感じるレッドもまた、自殺を図ります。
が、失敗におわり、犯罪を犯して再び刑務所に戻るか、どうするか、考える。
でも……。
レッドは、アンディ(主人公。脱獄者)の言葉が忘れられない。「希望はいいものだ、レッド」
アンディとの約束を果たそうと、仮釈放違反をする覚悟をして街を出ます。梁に「SO WAS RED」と遺して。
学校・教師が恐れているもの
学校と刑務所の共通点のひとつは、自由は有害であるとされているところでしょう。
学校は、国家に必要な思考を持つ国民に仕立てるための場所でもあります。
エラい人から下ってきている指令に、管理職(校長・教頭)は従います。学校・教師が恐れているのは、生徒が、脱社会的人間ではなくて、反社会的人間になっていくこと。なってしまうこと。
ブルックスならいいけれど、レッドになられては困ります。アンディが居ては困ります。
だからアンディがしあわせに暮らしているとは、他の生徒には言いません。
レッドが希望に満ちていることは、保護者にも言いません。
言うのは、学校に行かなかったらブルックスのようになる、という脅しです。
「希望はいいものだよ。たぶん最高のものだ。いいものは決して滅びない」
学校に行きたくはないのだけど「行かない」をしたらどうなるの? 勉強は? ぼくの(わたしの)将来は?
第一、「不登校」なんてカッコ悪い。「不登校」はよくないもの。……。
中学生以降くらいの年齢の子によくみる想いです。見知らぬ世界は怖いです。
受動態で生きるよう強制されているうち、塀の外に出ることに恐怖を与えます。
社会は常に悪者をつくります。
でもね、アンディは言っています。「希望はいいものだよ。たぶん最高のものだ。いいものは決して滅びない」。
子どもがわたしに気づかせてくれたこと
16年前、アンディになった息子はわたしに、当たり前すぎて観えていなかったもの、思い込んで疑うことすらしてこなかったものに気づかせてくれました。
天国から地獄へ突き落とされ、天と地がひっくりかえった! なんておもったものだけど、なんてことはない。もといた場所が、塀の中であったにすぎなかったのでした。
学校を拒否する子どもがヘンなのではなくて、子どもが拒否する学校のあり方こそが問われたし、学校に行くことが当たり前になっている学校信仰の根深さが問い直されたのです。
そうして、社会通念に沿うた教育観や学校観が、わたしのなかで崩れ去ったとき、そこにあったのは真っ白なキャンパスでした。
はじめっから形が縁取られ、ここは赤色で、こっちは青で、と決められているぬり絵ではなく(学習指導要領とかね)。塀の外は、きらきらと輝く360度の世界がひらかれていました。
わたしは真っ白なキャンパスに、自分の好みにあった自らの創造(オーダー)に全エネルギーを注いでいきました。
学校ってなに? 教育ってなに? 自分はどうしたい? というところからスタートし、主役である子どもが、主役として学べるオルタナティブな道を模索し、やがて仲間とともに 「デモクラティックスクール」 の旗を掲げたのでした。
「必死に生きるか、必死になって死ぬか… 俺は生きるぞ!」
アンディが言っていた「希望」という言葉など耳にも貸さなかったレッドが、「希望」を持った瞬間の台詞です。
「必死に生きるか、必死になって死ぬか… 俺は生きるぞ!」
(「更正というのは国が作った言葉だ」この台詞も印象深く、のこっています)
アンディになった子どもが、レッドになった子どもが、一昨年だけで17万人以上※います。
あなたはそれを絶望とみますか?
それとも希望とみますか?
※
平成26年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について/平成27年9月16日(水)文部科学省初等中等教育局児童生徒課より
- 小・中学校における、不登校児童生徒数は122,902人
- 高等学校における、不登校生徒数は53,154人
- 高等学校における、中途退学者数は53,403人
- 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は230人(小学校7人、中学校54人、高等学校169人)