こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)のアルバム『BUST WASTE HIP』(バスト・ウエスト・ヒップ)に入ってる『夢の駅』についてと、「聴く」のつづきを書いています。
『BUST WASTE HIP』
朝、起きて、リビングにやってきて、いちばんにするのは音楽(CD)をかけることなんです…… というのは以前書いたような? 気もするのですが、
今日は、THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の『BUST WASTE HIP』(バスト・ウエスト・ヒップ)をかけたんですね。5時から。
で、いまも(23時)ずっと流しています(笑)。
で、『BUST WASTE HIP』はブルーハーツの4枚目のアルバムで、収録曲は以下。
- イメージ
(作詞・作曲:真島昌利) - 殺しのライセンス
(作詞・作曲:甲本ヒロト) - 首つり台から
(作詞・作曲:甲本ヒロト) - 脳天気
(作詞・作曲:真島昌利) - 夜の中を
(作詞・作曲:真島昌利) - 悲しいうわさ
(作詞・作曲:真島昌利) - Hのブルース
(作詞・作曲:真島昌利) - 夢の駅
(作詞・作曲:甲本ヒロト) - 恋のゲーム
(作詞・作曲:甲本ヒロト) - スピード
(作詞・作曲:真島昌利) - キューティパイ
(作詞・作曲:真島昌利) - 情熱の薔薇
(作詞・作曲:甲本ヒロト) - 真夜中のテレフォン
(作詞・作曲:河口純之助) - ナビゲーター
(作詞・作曲:甲本ヒロト)
『夢の駅』
そのアルバムに『夢の駅』という曲が入ってるんですね。
ブルーハーツの隠れ名曲だとひそかにおもっております。
で、その『夢の駅』のなかのワンフレーズの意味に、どえらくひっかかっちゃって、わからないでいます。
こんな歌詞 ↓↓
『夢の駅』(作詞・作曲:甲本ヒロト)
パンパンパン パンパンパン
パーンと弾けて 飛んで行け
明日の朝 映画を観に行こう
本当の勇気を 教えてくれる様な
帰り道には きのうまでに見た
悲しい場面を 忘れてしまうように
パンパンパン パンパンパン
パーンと弾けて 飛んで行け
発車のベルが鳴り 一つ駅を越えた
通り過ぎるのは 早すぎたのだろう
泣いている人が ホームで手を振った
本当のお別れの アナウンスが流れる
『お待たせしました。次の駅は
幸せばっかりの 夢の駅ー。』
で、わかんないのは、
発車のベルが鳴り 一つ駅を越えた
通り過ぎるのは 早すぎたのだろう
の、一つ駅を越えた 通り過ぎるのは 早すぎたのだろう
一つ駅を越えた と、通り過ぎる は、おなじことを言ってるんだろうか?
だとしたら、
大切な人の若い死を歌ってるのかな?……。
それとも、
悲しみをかかえた自分が乗ってる?
登場人物はひとり?
だとしたら、
泣いている人というのは、知らない人? それとも知ってる人?
通りすぎるのは、早すぎたのだろう……?
どういうことなんだろう?
考えさせられます。
あ、正解が知りたいとかじゃなくて、
単純に詩をよむのが好きなだけ。
この『Bust Waste Hip』のアルバムが発売されたのは1990年で、当時、パートナーと深夜、まーーーったく同じ箇所のとこを、あ〜かな、こ〜かな、と語り合ってました。
…… つまり、わたしは、同じ箇所のワンフレーズの意味に、27年ひっかかっちゃっているってことですか?(笑)。そりゃあ、どえらくひっかかっちゃってるわ。

でもそのおかげで、おなかのなかにいたときからブルーハーツを聞かされていた 海琳 さんと、あ〜かな、こ〜かな、とただいまブルハ談笑中。
愛する人がいてくれるから、いやなことや、かなしみが、
パンパンパン パンパンパン
パーンと弾けて 飛んで行く
「聴く」ということと、「聴く力」
昨夜遅くにあげた記事「 担任の先生が嫌!嫌い!で学校に行きたくない時行かない時 」のなかで、ナビゲーターは魂 と書いている箇所があります。
あれは、この『Bust Waste Hip』のアルバムのラストの曲、『ナビゲーター』のこと。
と、
今日あげた記事「 話を聴けない親、心を話せない子ども【コミュニケーション能力を高めよう】 」で、わたしは「聴く」ということについて書いたのだけど、いま、ふと、おもったことがあるんです。
音楽を 聴く のがわたしは好きなんだけど、レコードやCDに入ってる歌詞カードを見ながら、数回聴いて、そのあとは 歌 を、気が済むまで聴いているんですね。
「聞く」じゃなくて。何かしながら…… とかじゃなくて。一日中でも、一晩中でも、それこそ27年中でも。
こんなことをしていて忙しいから、コメントのお返事も、メッセージも、ゆっくりになっちゃうのですが、そのことは、しゃーない(笑)。
あと、
海外に行ったときや、日本でも自分にとって想いある旅のとき、必ずやることのひとつに、街の音を聴きます。
& 録音します。記念に写真を撮る感覚ね。
で、帰ってきて、さらに耳を澄まして聴いているのね。街を奏でている音を。
これをやりだしたきっかけは、海琳さんは写真を撮るのは大好きなのですが、撮られるのは、だーーーーーいっきらいな人だったんですね。
なので、彼女の7歳終わりころから18歳ころまでの写真は1枚も撮っていなくて、かわりに音を撮っていたの。
(18歳をすぎたころから遠目の写真ならOKになってきて、でもそれは記念写真とかじゃなくて、たいていは、彼女が写真を撮ってるときの写真(笑)。だから、講演先で写真を撮られてもだいじょうぶになったのは、驚いたー。)
このふたつね、「聴く力」に加算されていたかも! って。
もし、「聴く力」を付けたいとかっておもう人がいたら、音楽を 聴く っての、やってみたらどうだろう?
街を奏でている音を 聴く っての、やってみたらどうだろう?
すっごい集中力いるよ。体力もめっちゃいるよ。
聴くってことがどういうことか、わかるんじゃないかな、とおもったしだいでありました。
たったいますぐできるよ、これ。
でもね、子どもの言うことを聴いて、、、受け止めて、、、できるようになったら、あなたの言うこと、ぜんぶ、聴いてくれるよ。受け止めてくれるよ。
思春期も、男の子も、関係なし。何時間でもおしゃべりがつづく仲でいられるよ。
「ぼくトマト食べたくない」
「食べたくないのね」
このくりかえしの愛があれば。
成立した想いのキャッチボールは永遠です。