こんにちは、AI-am(アイアム)です。
いやあ〜楽しかったー! 昨日10月8日は栃木でのトークライブ + 交流会だったのですが、この交流会がおかんパワー炸裂で、みんなで露天につかる仲となりました。
どういうことかというと……
ここ好き!
その前に、トークライブ! 楽しかったですー。
なにが楽しいってね、まずは会場!
会場の※ぽたりが、ちょ〜気に入ったよっぴーは、「ここ好き! ここ好き!」の連発!
※ ぽたり 栃木県栃木市倭町5-17(陶珈紗-toukousya-2F)
心地よさ
トークライブの最中にも発したことなのですが、
学校であれ家庭であれ、どういうのがいいのか、、、って言ったら、そりゃあもう「ここにおりたい(居る)」ってからだがいってるかどうか。
「おうちにおりたい」
「リビングにおりたい」
「まだ学校におりたい」
学校の場合
デモクラティックスクールに行ってた海琳さんの場合だったら、下校時間になっても「まだ学校に居てたい!」。
夏休みなんていらない!! 毎日行ってたい!! と言う彼女でありましたが、この想いはデモクラティックスクール・サドべリースクールで学び育っている子どもたちには共通している想いとおもいます。
[aside type=”normal”]注:その上で、行かない日もあります。
行く、行かないということが、問題なのではなく、選択に過ぎない 彼女・彼らにとって、学校(スクール)を休むということは、もうひとつの何かを選択しただけのことで、学校を休むことに罪悪感は生じません。
注の注(笑):各スクールによって「休む」ことに対してのルールなどはあります。[/aside]
自分を置く場所
自分さんを置く「場所」が、好きか否か、これってすごく大事なことです。
親はその場所=家を選べます。
でも子どもは選べません。
生まれ堕ちた家を出て、自らが心地よいとする場所に身を置けるのって、早くて14・15歳ぐらいですよね?!
それまでは子どもは選べません。
どこの大学でもいいんだけど、とにかく家を出たかったから、、、
だから一人暮らしが許される距離の大学を選んだ…… なんてのは子どもが取る王道の手段です。
後遺症
子どもは選べない。
「あんた(子ども)も大きくなったら選べるわよ」なんて言う親がいたりもするけれど、
(⬆︎ うちの親がこれでした。誰のおかげで飯くえてるとおもってるんだ。感謝しろ! 嫌ならとっとと出て行けタイプの親)、
そんなふうに言う親は、
「わたしだって選べなかったのよ!
大きくなるまで我慢したのよ!
◯◯を獲得するためには ××が必要なのよ!」
って考える、過去に執着した、復讐心の強い不幸な人なのかもしれない。
生活はアート
子どもは選べないからこそ、親は自分ひとりよがりの家にしないで、共存・共生がここちよい、家族みなが「ここにおりたい」とからだがいう家庭をつくらなきゃいけないとおもう。
それはアートです。
家族みなが「ここにおりたい」とからだがいう家庭を創る。
毎日を創る。
暮らしを創る。
子育ては芸術。
答えが決まっている数学じゃないのだから。
過去をみる世界史でもないのだから。
これだから母親ほどおもしろい しごとはないんです!!
線路はつづく
話は「場所」から脱線つーか、ちがう線路に流れちゃいましたが、
会場の「ぽたり」がちょ〜気に入って、「ここ好き! ここ好き!」という言葉が連発した場所でのトークライブが楽しかったのはいうまでもなく。
会場のことだけで長くなっちゃったから、メインのレポートはこのあと つづけます。
書くから読んでね。つづく