こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
描きはじめた絵を、完成するまで、または飽きるまで描いているデモクラティックスクール・サドベリースクール。一条校では「時間」に合わせて、完成していなくても提出しなきゃいけないし、飽きても(そもそも描きたくなくても)描かなきゃいけない。
あたらしいおうちでは、やりたかった畑をはじめました。右も左もわからない、何をするにも時間のかかる、入門者のわたしたちです。
* この記事は、Facebookの投稿(2021年3月15日)を編集したものです
「チャイムがない」デモクラティックスクール・サドベリースクール
「チャイムがない」デモクラティックスクール・サドベリースクール。
たとえば庭に咲いたチューリップ🌷の絵を描きだせば、完成するまで、または飽きるまで描いていたり。
「時間」が先にある一条校(多くの人が知っている学校)のように、“この授業内で仕上げる” “仕上げなきゃいけない” が、ない。
こどものころ、絵が未完なのに提出しなきゃいけなかったの、すごくイヤだったな。自分が「これでよし!」って納得できるまで、休み時間も次の授業ででも引き続き描きたかったな。
一条校はその絵🌷に他者(先生)が評価をくだすから、授業内45分で仕上げられない自分は、自分のことを「絵がヘタで、絵が描けない子」としてしまっていたしな(この結末は本当によくない! )。
(中学2年の夏休み、写生の宿題があって、当時夢中だったビートルズのLP『ラバー・ソウル』のジャケットを、何日も何日もかけて描いたのね。それこそ自分が納得するまで。
で、2学期のはじめ提出するわけだけど、その絵を先生がわたしの知らないうちにどこかに出してなんかの賞を取った。そりゃあ先生たちは大騒ぎ😆
このことがあって、わたしは途端に「評価される」に冷め、自分は絵がヘタだったんでも描けないんでもなかったこと、他者が決めた「評価」「時間」の罠と罪を知った。
よくさ、親や先生に「もっとわかるように話しなさい」と言われてくると自分は「話す」のがヘタなんだ、って苦手になったり、、、算数を解くのが遅かったら「頭が悪い」と思いこんじゃったりするようにね。)
こども本人、個々人の歩みや好奇心を蔑ろにするのはイヤだな
🌷の絵の話に戻るけど、かと思えば一条校では、飽きても描かなきゃいけないし、そもそも描きたくなくても描かなきゃならなくて😖
それは仕事をするようになれば必要なことではあるんだろうけど、こども時代に、おとな(他者)が決めたカリキュラムを優先させて、こども本人個々人の歩みや好奇心を蔑ろにするのはイヤだな。
他者が他者に評価をくだすのって、とんでもなく恐ろしいことなのに、どうしてそんなおっかないことができちゃうんだろうね。
オヤトコ学校「いい舟」の研修所でもある、よっぴーまりんのおうち、デモクラティックホーム🏡
いまだお掃除に明け暮れていて、当初は「おそうじ模様(笑)の経過などをFacebookやInstagramであげていこうよ」ってふたりで話してたんだけど、手がまわらない😅
猫の手も借りたいほどだけど、ねこちゃんたちはご覧の通りで😆
お掃除に明け暮れるなか、お庭ではやりたかった畑をやりだしたんだよ!
右も左もわからない、まーーーったくもってお野菜つくり入門者のわたしたち。
野菜つくりをしている友だちに教えてもらいながら、土つくりからはじめているのだけど、
これこそもし「お野菜をつくる」がカリキュラムにあって、興味がなくてもやらなきゃいけなかったら、以前だったら成績表は「1」だっただろうな。「何回言ったらわかるの?」「どうしてそんなこともわからないの?」なんて言われたりしながらね。
土を耕しながら、あらためて思ったんだ。
「チャイムはいらないよな」って。