こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
「学校に行かない」を選んだ息子から、
「なにもあきらめなくていいんだ。やりたいことはできるんだ」ということを教えてもらえました。
下校後天国 < 一日中パラダイス
幼稚園のころから、友だちと遊ぶことが3度の飯より好きだった息子は、小学生になっても毎日、陽が暮れるまで友だちと遊んでいる人でした。
遊びは主に野球がメイン。塾だなんだのご時世にもかかわらず、毎日毎日10人以上が集まります。
そんな下校後天国(土・日や夏休みなどは一日中)の日々を過ごしていた息子だったので、
学校に行かなくなることで、
「学校に行かなくなると、友だちと遊べなくなっちゃうよなあ。それ、めちゃ問題だよなあ」と、わたしはそうおもったのでした。
が、学校に行かなくなったあとも、この下校後天国はつづきました。
友だちが学校に行ってるあいだは、ひとりで楽しめることをしています。
古本屋(まんがを読むため)に行ったり、図書館(まんが以外の本を読みたいときや、DVDを観たいときなど)で過ごしたり。
家だったらゲームや、自分のホームページを作りだしてみたり。
で、そうこうして友だちが学校から帰ってくると、外遊びです。
住んでるマンションのすぐ横に、遊び程度の野球ならOKの広場があるんですね。
子どもたちの大きな声は我が家にまで届き、息子の弾む声も聞こえてきます。
陽が暮れるまで遊んで、
帰ってきてお風呂に入って、
家族のおしゃべりが交わされるなか、みんなでごはんを食べて、
そのあとも好きなことをして、
眠たくなったら寝て… って、
いや、ちょとそれ、ちょーーーパラダイスじゃないですか!
ハッピーじゃないですか!
傷つく怖さに飛び込む
最高の不登校生活をしている息子に、学校には行かないで、みんなとは遊ぶことについて訊いてみました。
「友だちらからなんも言われへんかったん?」
「ああ、言われたよ」
「なんて?」
「おれもイヤやのに、おまえだけズルい! って」
「ほんでなんて返したん?」
「たぶんそう言われるやろなっておもってたから、ああやっぱり来たか、っておもったよ。なんも言われへんほうがやりにくいしな。で、『そうかあ』って言うた。
でもそこぶつかってみて、おもったわ。
いやあ、あんなんて、1回言われるだけや。よう言われても2回までやで。それも時間にしたら10秒くらいやで。
その10秒を怖がったままやったら遊べてなかったかもしれんな。
おれは遊びたかってん。
しやから、学校に行けへんかったら友だちと遊ばれへんようになるんかどうか、確かめてもみやんと、あきらめられへんかっただけや」
十数年も前のことですが、傷つく怖さに飛び込んでいった息子に、鳥肌がたったのを今でも鮮明に覚えています。
不登校はズルい?
息子が学校に行かなくなった理由は、担任の先生が嫌いだったから。
その先生は、同じクラスの子たちだけではなく、他のクラスの子たちからも嫌われている先生でした。
「ズルい!」と言った子どもたちは、がんばっているんですよね。だって学校に行きたくて行っているなら、「ズルい」の発想は生まれてこないから。
そこにあるのは、「おれはがんばってるのに」。
「おれも(わたしも)学校に行くのイヤだけど、ガマンしてがんばってる」の感情だとおもうのです。
だから、お前だけズルい。
子どもたちの口から「ズルい」なんて言葉がでる教育は、教育ではないです。
まとめ
公の学校に行ってる子も、
オルタナティブの学校に行ってる子も、
フリースクールに行ってる子も、
家にいてる子も、
みんながパラダイスな一日をおくっていて、「ズルい」なんて言う子がいなくなるの。
それを実現させられるのは、わたしたちおとなです。
その日がくるまでわたしがすること、
その日がきてもわたしがしつづけること、
遊びつづけること。