こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
西宮サドベリースクールのスタッフと同スクールの卒業生、4人で飲んできました〜。いや〜たのしかったです。サドベリー仲間4人が集まれば、話す中身はそりゃもうね、サドベリーがらみになるわけで、その第一弾です。
サドベリー仲間
昨日27日(月)は、 西宮サドベリースクール のスタッフ、 ぐら(倉谷明伸さん) と、同サドベリースクール卒業生の大ちゃん(写真手前の人)4人で、夕刻から終電時間まで、サドベリー話満開にしゃべりまくってましたー。
大ちゃんは、書籍『自分を生きる学校―いま芽吹く日本のデモクラティック・スクール』(2008年6月発行)P128でインタビューに答えている人で(この本↓↓)

● 最後に〈宙〉についてひとこと の箇所で、
〈宙〉にいてて自分はおもしろいと思う。好きなことをずっとやっていられるから。いまは釣り。
「すきなことができる」のは、本当は当たり前のはず。
と述べられています。
※〈宙〉というのは、「デモクラティックスクール宙(そら)」 のことで、「西宮サドベリースクール」 の旧名称です。
「すきなことができる」のは、本当は当たり前のはず
好きなことをずっとやってきて、いまも、好きなことをずっとやっている大ちゃんやまりんさん。
約10年前、釣りが好きだった大ちゃんは、いまは数学が好きで、サドベリーのことを、ゲーデルの不完全性定理を用いて、語ってくれたり。
このブログででも常々 「好き」の威力のすごさ や、 愛することを楽しむことの大切さ を書いていますが、
「好き」をしつづけている人は、円やかで、寛やかで、軽やかです。⇒ 人生を楽しんでいる人に共通する3つのこと
子どもにガミガミいう人というのは、日々を楽しんでいないのだとおもうんです。「好き」をしていないんだとおもうんです。
自分(親)が楽しかったら、「好き」をしていたら、子どもに、子どもがやりたがっていないもの(たとえば勉強とか宿題とか)をやれ! とは言いません。そんな命令はしません。
自分(親)が楽しかったら、「好き」をしていたら、仕事から帰ってきて、子どもがやりたいことをやっている姿をみたら、めっちゃしあわせな気分になります。
しんどくっても我慢して、頑張って、やりたくないことをしてるから、楽しそうにしている子ども(他者)が羨ましくおもうんだとおもう。
…… そうやって子どもの「好き」を奪っていく。「いつまでゲームしてるの!! 」なんて言いながら。
「好き」は、どれだけでもつづけられます。
自分の持っている能力を100%発揮して、脳みそフル回転させて、「好き」をやりつづけます。
それは仕事につながります。どれだけでもつづけられる一番好きな「好き」を仕事にする。自分と自分さんのしあわせな関係もつづきます。
そこには「苦労してる」「頑張ってる」みたいな感覚、、、言い換えると、嫌々やっているという感覚は混じりません。自然なんです。
サドベリー「好き」
西宮サドベリースクールのスタッフぐらも、金太郎あめのように、どこを切ってもサドベリー「好き」です。
心地よい関係を紡ぐ、迷子にならない人です(実際は方向音痴だそうですが(笑)。
金太郎あめ 福福 スマイルキャンディ15個入り
やりたいときに、やりたいことができる、これ以上のしあわせってないよね。
そんな しあわせ者4人が集まって、サドベリースクール・デモクラティックスクールのこと、スタッフのこと、子どものこと、、、サドベリー関連の話に花が咲きました。
つづき ⇒ サドベリースクール・デモクラティックスクールとインド・バラナシの美
大人になって、好きなことをするために稼がなければいけないわけですが、社会に適応できない人は稼げず、税金で養ってもらわなければならない。そんないわゆる引きこもりになっては困るので、嫌なことでも我慢して稼げる程度にはなってほしい。
その先に好きなことを楽しむ時間があるのだから。
だから、嫌なことでもやる努力はしなければならない。
えええと、いろいろ違うことは分かるのですが、どう違うのかを明文化出来ません。
吉田さんの記事を遡って読みこめば分かるのかもしれませんが、何しろ今は「騎士団長殺し」の先が気になってそちらを優先してしまい、でも、吉田さんの言いたいことをちゃんと分かりたいという思いも捨てきれず、思い切ってこちらに書いてみました。ここは質問するコーナーではないということでしたら、諦めます。
坂本恵子さま
コメント、ならび、ご質問をありがとうございます。
近くブログにてお返事となる記事を書かせていただきます。
(その際はお名前はイニシャルにさせていただきます。不都合ありましたらご連絡ください)
そのころには「騎士団長殺し」も読み終えられているかもですね^^
ひきつづき、読書、たのしまれてくださいね〜