こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
「従来の不登校」と「オルタナティブ不登校」。
子どもがなぜ不登校になったのかを、その原因や理由を知るなら、まずはこの違いを知るところからはじめませんか。
オルタナティブ不登校
「オルタナティブ不登校」 という言葉がある。
いや、ない。今、つくりました。AI-amによる造語です。
それは、「あたらしい、もうひとつの不登校」を指す。たとえば自らの意思で 小・中・高に通わなかったわたしも 、オルタナティブ不登校のひとりということになります。
従来の「不登校」のイメージでは、子どもはなにか問題があって学校に行けなくなったのであって、「なんか行きたくない」とか、「行かないことにした」みたいな子どもをそのイメージで語ることは、むずかしかったりします。
いじめられているのでもないし、成績優秀ではなかったとしても勉強についていけないわけでもないし、数は多くはないかもしれないけど親しい友だちもいる。
それなのにどうして学校へ行きたくないのか、理解できない。
どうして理解できないかというと、従来の「不登校」でしか、状況を捉えられていないからです。
学校に行きたくない理由に他人が納得できるとはかぎらない
そもそも、なぜ子どもは学校に行くことを受け入れているのか、という疑問が、わたしのなかにあります。
学校が楽しいと感じる子どもが学校へ通っていることには、もちろんなんにも違和感がないのですが、いやいや、しぶしぶ、通っている子どもたちが、「これは受け入れなければいけないもの」と認識したのはいつだろう。
親からよほど悪いイメージを植えつけられているのでもなければ、未知のところだし、兄や姉が行っていればなおさら、はじめに「自分も学校へ行ってみたい」と思うのは不思議なことではありません。
それで、実際に行ってみて、「やっぱりいやだ」と思うのも、まったく不思議なことじゃないはず。
食べたことのないものを食べてみて、「これは好きじゃないな」と感じたら、以降はそれをあえて食べようとはしなくなる。これは、生きものなら当然のことです。
「好きじゃない理由は? 原因は?」と問われても、まあ、食感とか、味とか見た目とか、いろいろ言えることはあるだろうけれど、結局はどれも生理的なことで、嗜好の異なる相手を納得させられるようなものではありません。
だいいち、相手を納得させる必要もないはず。むりに食べさせようとせず、「好きじゃないから食べたくない」ということだけを受け入れてくれたら、それで十分です。
不登校をするのももおなじ。
オルタナティブ不登校に「問題」はない
オルタナティブ不登校では、「原因」は大した意味をもちません。
なにが合わなかったのか、感性と価値観によるものを見つけることには価値がありますが(自分を知るという面で)、それはまた学校へ戻るべく解消するような「問題」ではないんです。
それに、そのほとんどは、今日明日に解消できるようなことでもない。
「なぜ子どもが不登校になったのか」がわからず、そしてそれが知りたいのであれば、
本人の心ではなく学校生活に具体的な問題(支障)が起こって登校をやめたのか、
問題はなく、本人にとって合わない、好みでない、不必要なものになったから登校をやめたのか、
まずどちらなのかを知るところからはじめる必要があります。
後者、つまりオルタナティブ不登校なのであれば、大人にできることは、自分たち自身の視野をひろげていくこと、ただそれだけです。
「オルタナティブ不登校」ってどんなものか、くわしく知りたい方は、ぜひわたしたちの著書もご覧ください。
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