デビットボウイと『Warszawa(邦題:ワルシャワの幻想)』とポーランドの人々の誇り

amam

こんにちは、AI-am(アイアム)です。

冬がはじまりかけた大阪から、ポーランドに来ましたー。

今回は、中欧から東欧ロシアをブラブラする予定で、帰国は12月16日を予定しています。

自由はだれもの手のなかにある

ワルシャワに来たよ〜って、facebookに投稿した記事 ↓↓
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に、

ワルシャワ!と聞いてデビットボウイが聴きたくなり(^^♪ ” ってくれたコメントがあって。。。

すぐさまデビットボウイの『Low』を聞きながら、『Warszawa(邦題:ワルシャワの幻想)』をググってみると、あるサイトに以下のことが書かれてあった。

鉄のカーテンの共産主義側を旅した時の記憶を思い出した。ポーランドの雑誌『ティルコ・ロックTylko Rock』のインタビューに答えて、ボウイはこう回想している。

「『ワルシャワの幻想』では、自由を渇望する人たちの気持ちを表現したかった。自由の匂いはする…でも彼らはそれに手が届かないんだ。」

出典:culture.pl

 

デビットボウイが鉄のカーテンの共産主義側を旅した時、というのは1976年のようだけど、

半世紀が過ぎ、2018年の今日やってきたワルシャワには、誰もの手のひらのなかにある、って感じた地だった。

 

ポーランドという国

地理的に大国に囲まれていたポーランドは、歴史上、何度も大国の支配下に置かれた。

地図の上から「ポーランド」という国そのものが消されてしまったこともある。

やっとのことで第一次世界大戦が終結して、のちに独立が承認されたポーランド。

けれどそのポーランドは、第二次世界大戦でさらに壊滅的な状況に追いやられることとなった。

 

ナチス・ドイツがワルシャワに侵攻し、何十万人ものいのちを殺し、ワルシャワの街を火災放射器で片っ端から焼き払い、灰燼に帰した。

街は壊滅した。

けれども、何度も国の存亡の危機を経験し、昔からの建物を破壊し尽くされても、諦めなかったポーランドの人々。

崩れたがれきを使って、戦前の建物にあった「壁のひびの1本まで忠実に」を、完全に復元したという。

 

誇り

クロアチアなどもそうだったけれど、中世の面影を残す街並みは、たまたまなんかじゃないんだよね。

かろうじて残った爆撃前の瓦や石材を使用していく。壁の彫刻も寸分たがわず修復されている。

そうやって、街並みは大震災、火事、侵略などで破壊されるたび、粘り強く建て直された。

欧州にみるこれらの街の美しさは、自由、そして珠玉の街並みを守り抜く彼らのイナット(誇り)なのかな。

 

乾杯!

ポーランドの各都市が第二次世界大戦で破壊的な打撃を受けたなか、ドイツ軍の司令部が置かれていたクラクフだけは戦災を免れた。

そのクラクフに来たーーー(アウシュヴィッツへ行く際の最寄りの町でもある)

 

家を出て、52時間かかったぜ。
(格安飛行機を乗り継ぎ、そのうえ格安バスと乗り継ぐから。← この間も「旅」なのだ!!
東京⇆ポーランドを結ぶ直航便はあるので、そういうのを利用したら52時間もかからないけどね)

よっぴー、まりん、よくやった〜!

おつかれさまーーーーー!

シャワーの前に、まずはカンパーイ!

 

今回は、中欧から東欧ロシアをブラブラする予定。

つーことで、
12月1日「ハロー! こどもにおはようを言う前に」第1回目は、中欧のどっかの街から生配信しますー。

1日のはじまりにきくと、
そして、月のはじまりにきくと、とってもステキな気持ちになるお話をしていきますので、見てね(録画でも見られます)

詳細、お申込みはこちら ↓↓↓
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