こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
※ トップの画像は、下記「今日の本」で紹介している『ブッタとシッタカブッタ 3』を真似して、よっぴーが描いたものです。
子どもが学校に行かなくなって、、、「不登校」になって、、、ってなれば、不安になるのは当たり前。
そんなの、ほんと、ちょー当たり前。
不安に背をむけないで、不安に飛び込み、しっかりと「不安」を感じてください。味わってください。
でね、なにが「不安」なのか、不安の正体を確認してください。
もくじ
不安に飛び込まないで、不安を怖れているときが一番こわい
あ、学校にどうやったら戻せるか、、、とか、
勉強は遅れないか、、、
行かないことを許したら甘やかすことにならないか、、、
といった欲望(「悩み」と思っている事柄)が湧き出てくると思うのですが、欲望があるうちは(欲望がでるときは)、不安を怖れているだけだからね。
イメージでいうと(今から言うこと想像してみてー! しっかりとしてみてね!)、
(家族なり、恋人なり、友だちなり)みんなで川に遊びに行ってて、この岩の上から「飛び込み」しよう♪ ってなって、みんなは飛び込みを楽しんでいるんだけど、
岩の上で、自分は、怖くて、怖くて、なかなか勇気が出せないでいるときの光景。
こんなとき、みんなに聞く質問は、
- 怖くない?
- 水、冷たくない?
- ああでも川の水って冷たいやん。冷たくって心臓発作とかならない?
- 深さは? 頭うたない?
- 飛び込んだあと、ちゃんと水面にあがってこられる?
- ここまで泳いで来られなかったら?
- etc
こういった類のことを尋ねるだろうなと思いませんか?
水が冷たかったらどうしよう、とか、おぼれたらどうしようって思うから。
なにが「不安」なのか、不安の正体を確認してください。
なんで、水が冷たかったらどうしよう? って思うの?
なんで、水が冷たくって心臓発作とかになったらどうしよう? と思うの?
なんで、怖いの?
なにが、怖いの?
死ぬのが、こわい。
「どうしよう」のうちは、安全地帯にいる
水が冷たかったらどうしよう、とか、おぼれたらどうしようって思うのって、自身の身の上の心配事だよね。
つまりは、岩の上から眺めていられるからだよね。
どうしよう… とは思うけれど、、、
心臓は、ばこんばこんいってるけれど、、、
呼吸も荒くなってるけれど、、、
でも、
それでも、
肺呼吸ができているのは、足はまだ大地にくっついているからだよね。
不安に飛び込むと、水の冷たさはわかる
これ、ほんとにね、
みんなで川に遊びに行ってて、飛び込みしよう♪ ってなって、でも自分はこわい… っていうんなら、
飛び込まなきゃいいし、
飛び込んでもいいし、
どっちでもいいことなんだけど、
子どもが、おぼれているんです。
なにはさておき、助けませんか。
でも水が冷たそう、、、とか、
助けたら(許したら)甘やかすことにならないか、、、とか、そんなこと考えないよね。
飛び込んでるよね。
不安に飛び込み、思い存分、「不安」を感じてください。味わってください。
明るいときは、光は認識できない
でね、何度もいうけど、
なにが「不安」なのか、不安の正体を確認してください。
ほら、真っ暗なところってな〜んにも見えないけど、そのうち、見え出してくるじゃないですか?
暗闇では一点の光が、よ〜〜〜く見えるんだよ。明るいところでは見えないけれど。ありがたいね。
経済的生産性における確信への不安
学校に行かなかったら… ◯◯できないじゃないですか?
学校は行かなくてもかまわないが… ◯◯できるのか?
◯◯さえできるようになれば、学校は行かなくてもかまわない。
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◯◯に入るもの。。。
子どものことを100%信じているという親でさえも、学校に行っていなくても大人としてやっていける、と確信(?)している親でさえも、
子どもがその年頃になれば心配してしまうもの。。。
「稼げるようになるのか」
不安の正体は、お金です。
人間は、お金がないと、死ぬ、と思っているから。
死ぬのは、こわいから。
※ 不登校と就職について書こうとしていたのですが、前置きだけでここまでなったので、前編、後編にわけます。
今日の本
※ 古本しかないかもしれないのですが、よっぴーが、息子が不登校をはじめたとき、家にあったこの本を、お守りのように心おいて、読んでいた本です。 ↓↓
ブッタとシッタカブッタ 3なぁんでもないよ
「この世界はあんたの心がつくり出しているんだ」と、ブッタは言う。ものの見方の癖を知ることで、わたしたちが自分の人生をどう見ているかが見えてきます。笑ったり、驚いたりしながら、思い込みの仕組みを発見することでしょう。マンガといってあなどれない、「心」を語る本。第45回文芸春秋漫画賞受賞作です。