AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。
デモクラティックフィールド のらねこ の過去のブログより転載です。
思いやりの方法
学校は、たったひとつの結論をおしえてくれるんだな、と最近思う。
いけないこととすばらしいことをおしえてくれる。なぜいけないのか、なぜすばらしいのかをおしえてはくれないけれど。
喜びにも悲しみにも、いくつもの種類がある。
わたしたちはそのためのひとつひとつの細やかな言葉をもたないから、悲しい嬉しい寂しい幸せとかいったおおまかな言葉に託していたりする。
もちろん、感情は誰にとってもまったく共通のものでないのはあきらかで、付き合いをかさねて、そのひとを目の当たりにすることで、相手のことを知っていくことになる。
性格とか、感じかた、どんなとき、どんな表情をするのか。
学校はなんでもきれいに揃えないと気がすまない。
年齢や時間、カリキュラムはもちろん、食事やカバン、席の間隔、言動の良し悪しだとか、相手が喜ぶこと、悲しむこと、思いやりの方法。
過程も結論も数えきれないくらいあって、まだまだどんどんあちこちから生まれてきて、どうにも画一化できるものじゃないはずなのに。
ひとはひとを大事にするようにできている、というのはたぶん微妙にちがっていて、ひとは自分が心地よいほうへ、嬉しいほうへ向かうことが好きなんだと思う。相手がよろこんでくれたら、うれしい。
そういうのは自己満足と呼ばれるのかもしれない。でもきっとそれでいい。ほんとはなんにもわるいことじゃなくて、自己満足くらいできてやっと、誰かを受け入れられるんじゃないかと、思ったりします。