こんにちは、AI-am(アイアム)の星山まりんです。
子どもは、ほんとうにいつも、なめられています。
親から、大人から。
それ、自分の友だちやなんかにもおんなじことを言うんだろうか? と思う。
「すごいね」
たとえばよく聞く「すごいね」という言葉にもいろんな色があるけれど、大人たちは、決まって子どもに向かって、それを言う。
つまり、自分が感じた「すごい」が口から出た、というんではなく、「(あなたが)すごいね」と、言う。
それは、えらいね、というのとあんまり変わらない。自分の気持ちや感想をすっ飛ばした、評価そのものです。
ご飯をつくっているところに加われば「お手伝いしてえらいね」(子どもは「お手伝い」をしているわけじゃないのに)、好き嫌いなく残さずに食べて「えらいね」、親の言うことを聞いて「えらいね」、挨拶ができると「おりこうだね」など、など、など。
相手が子どもでなければ出てこない言葉
わたしは、そういう、「評価をしていないつもりで評価している」大人たちがきらいでした(いまも)。あ、ばかにされているなあ、と、感じる。
子どもにその言葉がすっと出てくるのは、相手を子ども扱いしているからです。
相手が大人であれば、そもそも言おうとも思わないだろうし、言えば失礼になるんじゃないか、くらいは考える(誰にでもほんとうに同じ態度をとるなら、それはそれで)。
ひとを褒めるひとというのは、誰かに褒められたいひとじゃないでしょうか。
褒め返されたいがため、というわけではないだろうけど、そういう評価ってものが、からだにたっぷりと浸みこんでいます。
評価によって自分の価値が上下するということに慣れきってしまっているし、そこから安心を得ようとする。それがないと、つらくもなる。
それ以外の方法を教えられずにきたから、誰かにもおなじことをする。
好かれるのはうれしい。喜んでくれるのもうれしい。
それは褒められること(=評価)とは違っているということに気づいたら、とても楽になるんじゃないかな、と、思う。
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