たかが不登校を悪化させる親の対応(後編)

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

何回だって言います。
不登校とはただ、学校に行ってないだけ
ただそれだけです。

靴ずれする靴を履かなくたって、自分に合う靴を履けばいい。自分を大事にできるところ、あなたを大事にしてくれるところにいるのがいい。

学校へ行かなくっても子どもが健全でいられるかどうかは親しだい。そのとき親がすべきこと、後編です。

前編はこちら ▼
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不登校に罪悪感や劣等感、恐怖感のある人とない人

学校に行く・行かないということを、子ども自らが選んだ。
そしてその選択を親はただ受け入れた。

シンプルなこの心境のお母さんのもとで過ごすお子さんは、100%、

学校には行ってないよ。
なんでって? 行きたくないから。

いとも軽く、こうこたえると思います。

そこには罪悪感がありません。

 

ここで『 たかが不登校を悪化させる親の対応(前編) 』が終わりました。

そう、この罪悪感がくせ者。この罪悪感や劣等感、恐怖感に苦しめられるのです。学校は行かなければならないと思っているから。または、 行かなくてもいい法律があって、そのことは知っているけれど、「不登校」に対して得体のしれない恐怖感に襲われるから。

 

たとえば、一条校(学校教育法第一条で定められた学校。みんなが知っている一般的な学校)だけを選択肢にするのではなく「来春、子どもが就学年齢になるから、どこの学校がいいかなあとおもって、いろんなタイプの オルタナティブスクール を見学してるんです」と言って、全国をまわられている親子・家族もいます。この親子・家族に、罪悪感はありません。

また、一条校には行かず不登校をしていて、 サドベリースクール や、 フリースクール、ホームエデュケーション・ホームスクーリングなど で過ごす子どもや、ときどき一条校に行ったり、再度登校しはじめたりしている子どもで、
のびのびとしている子の親御さんは、ほぼ全員が、ただ(公の)学校に行ってないだけというふうに思われていて、罪悪感や劣等感、恐怖感に苦しめられていません。

 

学校と外側

一条校は行かなければならないと思っている人と、一条校以外にも学び場があることを知っている人。

A4の紙に「学校」をかくとして。一条校は行かなければならないと思っている人は、学校を、A4の紙めーいっぱいに捉えていると仮定したら ↓↓

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一条校以外にも学び場があることを知っている、学びの形を幅広く捉えている人のA4の世界はこんなふうなのかもしれない ↓↓

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子どもの就学に合わせ、いろんなタイプのオルタナティブスクールを見てまわっている人の場合ははじめから後者のように捉えられているのだろうし、

子どもが不登校をはじめたことで、実は「外側」があったことに気づき、その世界の広さを子どもにも伝えることができた人が、「ただ、学校に行っていないだけ」と思うのでしょう。

 

本心は「行きたくないから行かない」

親が「不登校」を「ただ、学校に行っていないだけ」とおもっているのなら、子どもが発する言葉も「行きたくないから行かない」になっているとおもいます。

そうでないのだとしたら、子どももまた「学校に行きたいけど行けない」という言い方をしているとおもいます。

「行きたくないから行かない」と言いきるには子ども本人もまた「不登校」に対して罪悪感をもっているから、その罪悪感が自分(子ども)を許しません劣等感や恐怖感もジャマをします

 

加えて、学校に行くのはあたりまえと思っている家庭で育ってきた子どもが、「行きたくないから行かない」と言い切るにはすごいすごい勇気がいることだとおもうのです。

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「行きたくないから行かない」。

それを言い切る子は「明日は行く……」とか、「来週から行ってみる……」とか、「春から行くから……」といった、「不登校」によく見受けられる言い方はしません。

 

不登校をしている子どもが「明日は行く」と言って、行かない言動を翻訳すると

「明日は行くから……そういって寝て、朝になると行かない……。というか、起きてこない……。

そんな経験をされている親御さんは多いかとおもいます。

 

「行っても行かなくてもいいのよ、ただねお弁当の段取りがあるからどっち? 明日は行く? 行かない?」。こんなふうに言ってる親御さんもいるとおもいます。

 

あのね、この「明日は行くから……」。この言葉を訳すとね、

[box class=”pink_box” title=””]「お母さん、ごめんね。
学校に行けずにごめんね。
ごめんね、ごめんね、お母さん。
お母さんを悲しませたくないから…
お母さんに嫌われたくないから…
だから明日こそは行こうっておもうんだ。
こんな自分ゆるせないから明日こそっておもうんだ。
でも行けないんだ…
お母さん、ごめんね。
学校に行けずにごめんね。
ごめんね、ごめんね、お母さん。
でもお母さん、ぼく(わたし)をきらいにならないでね。
お母さん、お母さん、見捨てないでね
お母さん、お母さん…」[/box]

 

この想いの省略形が「明日は行くから……です。

 

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お弁当の段取りがいるっていうけど、どうかお願いです。あなたの苦しみを子どもに担がせないでください。

お弁当よりも、からだは知ってる「本当」を、恐れることなく自由に表現できる環境、空気をつくってあげてください。

 

あのね、学校は行きたければ行きます!!
お弁当なくったって、行きたきゃ行きます。

柱にロープでくくりつけたって、「好き」なら行きます。

 

「どんなあなたも愛している」と100%でメッセージを送れたら

学校に行かせることが大事なんじゃない。行きたくない子を無理に行かせることが教育なんかではない。

 

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◯◯ができないなら△△? △△もできないんだったら せめて□□? 生きることに条件はいりません

◯◯も、△△も、□□も、できなくていい。

 

世界はそこだけじゃない
世界は広いんです。あなたはあなたのままでいいんです。

小学校1年生の子が学校が合わなくて行かなくなるときの罪悪感や劣等感と、中学2年生や高校生が行きたくなくなるときのそれとは、比べるまでもありません。

年齢が上がるにつれ、学校に行けないことは、
弱い人間が行う惨めな行為だと捉えるし、襲いかかる恐怖感が精神を痛めます

 

そこで親が、世界の広さ、学校に行く・行かないことであなたの価値が変わるのではないこと、学校に行く・行かないなんて無関係にどんなあなたも愛している、というメッセージを100%の純真でおくれたなら。

年齢の高い子どもであろうとも、子ども本人が抱いた罪悪感や劣等感、恐怖感等はその瞬間に消え去ることとおもいます。

 

90%なら1週間ほど? 80%なら1ヶ月ほど?

20%なのに、100%だと言ってもそれはNG! 子どもにはウソがまるみえです(よけいに辛い)。

90%の親を見て……、80%の親を見て……、

親が深刻に悩むのは学校に行けない自分のせい……、自分が学校に行けたら悩まない……、やっぱり自分はどうしようもないダメな人間なんだ…… そうおもいます。

 

 

「明日は行くから……」と子どもが言うとき、子どもが学校に行かなくっても、朝になって起きてこなくっても、にこにこしとける自分になってみてください。

学校を休むようになって、家にこもるようになって、時に子どもがどこかへ出かけるとき、うれしい表情をみせないで! こんなときこそ平常な自分を見せてあげてください。

 

学校に行った日と、自分(親)が思い描いたのと真逆の最悪の日に、ご飯や言動に差異をつけないでね。

ドアは静かに閉めてね。(思い描いた通りにならなくっても言動はおだやかでいてください)

 

学校に居場所をなくした子どもが、家でも居場所をなくしたらどうなるか

どうなる?

 

たかが「不登校」ですよ。いつか「不登校」なんて概念なくなるのに、です。

 

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「不登校」、それは「ただ学校に行ってないだけ」

親が子どもを信じられないのなら、子どもは親を信じられません。 わたしたち親はそのことを子どもたちからすでに学んでいます。

 

みんながそれぞれ自分に合った選択をするのがいちばんいい ということも、

学校に行きなさいという言葉は子どもの正直さを奪う事実 も知っています。

 

親子や家族が信頼しあえないのは、体(魂)ではなく、頭で子育てをしてしまう ときです。

 

ひとのからだは頭がいいのです。

その学校は、その子の感性と合わないんです。からだはそのことをよーーーく知っています。

学校と合わないから行けないんです。

 

靴ずれする靴を履かなくたって、自分に合う靴を履けばいい。合わないのなら変えればいい。

自分を大事にできるところ、自分を大事にしてくれるところにいるのがいい。

 

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