こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
前回「 サンタクロースからのクリスマスプレゼント | 乳幼児の子どもから親へ 」の記事で、
子どもと関わる者には「子どもに寄り添う心」が必要で、それはどんなことがあっても失ってはいけないもの。その心が揺らいだとき、「信頼」は去ってゆく。と書きました。
そのことについて書いています。
たとえばアマゾンのジャングルで
たとえばなんらかの事情ができて、あなたがアマゾンのジャングルで暮らさないといけなくなったとします。
でも大丈夫! 絶対的な信頼をおく人があなたに四六時中ピッタリとくっついて、安全を守ってくれます。
だったら安心ですよね。その人はぜーーーったいにあなたから離れないことをあなたは100%信じられているので、不安はありません。
ここちよい衣食住を提供してくれます。お腹がすけばご飯をくれ、寒ければ布団をかけてくれます。
生息する危険生物や、先住民族の部族など、見たことも聞いたこともない世界は怖いけれど、その人はいのちに懸けて保護してくれているから、あなたは怖い反面、好奇の目で、これから住むアマゾンの世界を知っていくことができます。
あなたが要求したことはなんだってしてくれます。そうしてあなたが全信頼をおくものだから、その人もあなたを疑わない。自分を疑うことはあってもあなたを疑いはしません。
でもどうしたことか……、だんだんとその人はあなたに冷たくなってきます。
お腹がすいたと言ったら、「さっき食べたとこでしょ」と言って怒りだすんです。
寒いと言ったら「寒くなんかない」なんて言う。寒いのはあなた自身なのにです。
その人はこれらを「わがまま」だといいます。わたしの言うことをきいておけ、というのです。
さらに不思議なことがあります。
「最近冷たくなったね」と言うと、その人は「ちがうよ、それは愛しているからだ」というではありませんか。あなたのことが心配だからだと。
条件をつけない愛情を注ぐ
赤ちゃんは生まれてきたあと、絶対的な信頼を親に寄せています。
親もまた、いっさいの条件をつけない愛情を赤ちゃんに注ぎます。
生後数日が経ち、、、数週間が経ち、、、しても、このころはまだ子どもに小言は言いません。 ー おむつの中心に尿がくるようにおしっこしなさい、とか、いつまで寝てるの,もう起きなさい、だとか ー
お腹がすけば泣き、お腹がいっぱいになれば飲むのをやめる……。
暑ければぐずり、機嫌がよければ笑う……。
親は、自分(子ども)が生きていくためにしてもらいたい必要な手助けはちゃんと親に伝えて、子ども自らが育っていく力を目の当たりにしていきます。
子どもが要求してきたことだけをやっていれば、それでうまくいくことを親は学びます。
わからないことは、こどもがちゃんと教えてくれる
育て方でわからないことは、子どもがちゃ〜んと教えてくれることを親は教わりました。
ところがどうしてか、やがて子どもが1歳ころにもなると、親は子どものことを心配して、あれこれ手出し・口出ししだします。
どうして心配するのか?
どうして手出し・口出しするのか?
どうして自らが学んだことを信じられないのか?
キーポイントはここだとおもうのです。
心配と強要
「心配」は子どものことを信じられないときに出る感情です。
「強要」はその感情が不健康であることを意味する、自己満足を得たいがための行為です。
だから子どもには、子どもを信じていないということだけが伝わります。
子どものためをおもって心配しているとは子どもはおもいません。
親の自己愛
子どものことが心配で…… は、そのほとんどがウソです。
そのほとんどは親のエゴです。
わたし達親は子どもを愛しているといいながら、その実、親が望む子どもにしようと一生懸命になり、それを愛しているとおもい込んでいます。
わたしはそうでした。子どものことを愛しているとおもっていたけれど、愛していたのは自分。
集中内観 をしてはじめて、親特有の自己愛と正対できました。
信じることは愛すること
人は誰でも自分で学べる力をもっています。
自分を生きる力は生まれながらにして持っています。
子どもは自分を信じてもらうことによって、信じてくれた人を信じます。
そして自分が信じられたことによって、自分を信じることができるのです。
それを教えてくれたのは赤ちゃん。疑う心を捨てればいいだけ。