こんにちは、
AI-amの吉田 晃子です。
ふたつの願いを持って生まれてくる子どもの成長と、親の役割について。
2008年、星山と吉田が共同で「デモクラティックフィールドのらねこ」を立ち上げたときに書いた、9つの「おもうこと」のなかから、「依存と自立」「信頼がカギ」の転載です。
子どもの成長 ー 人はふたつの願いを持って生まれてくる
親の役割。それは、親に対して依存状態の子どもを自立へと育てること。これに尽きるでしょう。
どんな時代にあっても、どこの国であっても、子どもにしあわせであってほしいとおもうのは、共通の願いだとおもいます。
赤ちゃんは、ふたつの願いを持って生まれてきます。
ひとつめは、くっついていたい、甘えていたい、頼っていたいという依存(所有的精神)です。
生まれてから1年くらいのあいだは、100パーセント親に依存していないと、赤ちゃんは生きていけません。
そのあとも下降線を辿りつつも長い年月、依存状態は続きます。
ふたつめの願いは、自らが学んでいきたい(創造的精神)とする自立です。
子どもは、この依存と自立のあいだを、ジグザグに行ったり来たりしながら、自立への道のりを歩いていきます。
思う存分に依存できることで自分の中から安心感を生み、探検へと一歩踏み出していく。何かあると戻ってくる。また出かける。戻る。この行き来を繰り返しながら、成長していきます。
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自立の始まり
自立の始まりは、手を口に入れようと持っていこうとしはじめたとき です。手があることを発見し、その手を動かすことができることを発見したのです。
やがて、移動の自立です。寝返りをうてるようになり、座れるようになり、歩けるようになります。
食べることの自立も始まります。自分で手づかみで食べようとするのは、ひとり立ちへの大切な要です。
同じく、「まんま」などとしゃべるようになるコミュニケーションの自立(会話)もまた、生涯を通じて学びの柱となります。どれも重要な骨子です。
親は裁判官や批評家に変身しなくていい
子どもに、依存することを止めさせると、自立はできません。
子どもが依存したくて戻ってきたときは、痛み(時に喜び)を共有して、ぎゅうっと抱きしめてあげる(共存)。(少年期以降であれば真摯に寄り添って話を聴くなど)
逆に、自立しようとしているときには、手出し・口出しはしません。手を口に入れようとしているのをやめさせてはいけません。
このときに干渉すると、子どもを依存へと後退させてしまいます。
子どもが、自分で手づかみで食べたがるのを、何らかの理由により阻止して親が食べさせたり、
自分の足で歩きたがっているのを、時間がないなどの理由で抱っこやベビーカーに乗せたり、
一生懸命ボタンをかけようとしているのを、「ママ、して~」という前に親がしてしまったり…。
口もでます。このときの親が吐く言葉は、概ね相手を否定した言い方や、指図、干渉。もしくは「えらいね」など評価をくだす表現です。
支配愛(親の愛)は、親を裁判官や批評家に変身させてしまいます。
最大なる親の役目
人間の基本的な信頼感というのは、乳幼児期に形成される ものだとおもいます。
子ども自身の育ち(依存と自立)のペースに、親が歩調を合わせ、他者といっしょに生きることで得る共感の体験を通し、
呼応や協調、創造の喜びを子ども自身が自分の体に刻んでいけるよう勉めることが、最大の親の役目ではないでしょうか。
親は、子どもの「好き」を、自由にやりたいだけやれる安心な環境つくりに徹し、親の期待に反する思考や行動を取ったって、
あなたはダメな子じゃない。あなたはあなたのままそのままで素晴らしい。あなたはあなたのままで、かけがえのない価値がある、尊い存在なんだ。
と、子どもがほんとうの自分のままで生きていけるよう、いつ・いかなるときも子どもを肯定し、尊敬の眼差しを贈りつづける。
親が子どもを信じないのなら、子どもは親を信じられません。
信頼がカギ
自立に向けての道幅は、子どもの年齢が上がるにつれて、どんどん広がっていきます。
親や社会の常識など、他者の価値観において認められることに目標を置く生き方ではなく、自分の生き方に自尊心を持ち、自らを大切にする能力が自分を幸福にさせることを知り、愛とよろこびに満ちた豊かな人生を生きていってほしいと願うのであれば、一切の学び(自立)を子ども自身に任せる ことです。
「子どもたちは大人に指図や規制されなくとも、自分で学び、成長することができる」。それはなぜか?
人は、自らが自らを成長させる力を誰もが生まれながらにして持っている からです。権威主義の排除は、その力が健全に育つのをまもります。