こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
なんでこうも親って心配症なんでしょうね。
うちの母がよく「親やから心配するのは当たりまえや!!」と言って子ども(わたし)をドヤしてましたが、当たりまえか? ほんとうに?
もくじ
親だから心配するのは当たりまえ?
それは 反抗期があるのは当たりまえと思い込んでいる のと同じような臭いがするんです、わたしには。
親の言うことは正しくて、子の言うことは間違っている、子はまだ何もわかっていない、といったあの考え……。傲慢ってやつ。
傲慢さってやつは、前を向いて生きている子ども(他者)を不快にさせ、不安を植え付け、歩みを後退させるじゃないですか。
子どものころ親に言われてカチンときた言葉たちには、傲慢さが充満してました。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2017/09/042482.jpg” name=”若かりしころの母” type=”l”]親やから心配するのは当たりまえや!![/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2017/09/045008.jpg” name=”14歳のわたし” type=”r”]それ、あたしを不安にさせてるだけやん!
親やねんやったら心配せんと信じてーや!![/voice]
「子どもは失敗する」という前提に立っている
親戚のおばちゃんにもお説教をくらって、心配してくれることを嬉しくおもわないの? って全否定のまなざしで言われたりもしましたね。
おもうか、そんなもん!← 14歳のわたしの心の声。
← 14歳のわたしの心の顔。
「親やから心配するのは当たりまえ」のほかにも、
- 「親にむかって その態度はなんだ!」
- 「ひとりで生きてるんじゃ ないんだぞ!」
- 「相手の気持ちも考えろ!」
- 「お前のためを思って 言ってるんだぞ!」
- etc・・・
子どもを批判していくことで傲慢になり、自分を正当化して、うぬぼれていく。
映画「探偵はBARにいる2」
話は変わるのですが、映画「探偵はBARにいる2」を観たことありますかあ?
札幌・ススキノを舞台に探偵が事件の真相を暴いていくお話しで、シリーズ第2作です(以下ネタバレ全開)。
大阪で活躍する気鋭のバイオリニスト・河島弓子が依頼主で、ススキノで殺されたオカマのマサコちゃんの真相を暴いていくというストーリーで、このふたりは実は兄妹。
でね、この映画のラストの台詞が好いんですよー。
お兄ちゃんが殺されたのは、わたしのせいだと言う弓子。
「プロになって成功して、お兄ちゃんを呼んで、一緒に暮らそうってずっと言ってたのに、結局呼ばへんかった」
「ずっとお兄ちゃんのこと隠してた」
「あたしやねん、お兄ちゃん見捨てた張本人」
この言葉に対して探偵は言います。
「うぬぼれんなよ」。
「悪いがあんたが呼んでもマサコちゃんは行かなかったと思うぜ」
「だってマサコちゃんはススキノで最高の仲間にかこまれてたんだから」
「これだけは断言する」
「マサコちゃんは最高に幸せな人生を送ったよ」
批評しなくても生きていられる
楽しいことを楽しめない人は、楽しくないことは、さらに楽しめないとおもうんです。
親のわたしがちゃんとしてなかったから…… だから子どもはあんな子になった、、、とか、
親のわたしががんばったから…… だから子どもは今こうしていられる、、、とか、
子どもさんが学校に行かないことで苦しんでいる親さんは、子どもに完璧であって欲しい、自分は子育てに失敗しない人間でありたい、という完璧主義にとらわれているのかもだけど、精一杯だった自分の子育てを認めてあげよう。
あー、学校に行かないことは失敗ではない ですけどね。← 声を大にして言う!
わが子を愛しているなら、子どもを不安にさせる言葉はかけない
親になって25年経ちましたが、子どものころに感じた臭さは、いまもやっぱり変わりません。
親だから心配するのは当たりまえじゃない!
悪いところをなおそうとするのではなく、いいところを意識して、いい行動を増やしていく。
そうやって自分自身を容認してあげていけば、うぬぼれた想いは減っていきます。
苦しみの源泉であるうぬぼれが減っていけば、傲慢さも消えていきます。