「こぼさなさいように食べなさい」と言うけれど

こんにちは、AI-amの星山です。

たとえば食事中、親は子どもに「こぼさないように食べなさい」と言います。
でも、その子どもは、こぼさないように食べていないとも限らない。こぼすつもりなんてなかった子どもは、その言葉をどうやって受け入れればいいんだろう?

大人は相手が子どもだからこそ適当にお粗末に物事を伝えるけれど、相手が子どもだからこそ、わたしたちはなんでも正確に丁寧に話すべきなんですよね。

「こぼさないように食べなさい」の適当さ

大人はけっこう適当なことを言う、ということを子どもはよく知っている。
大人の目に入るのは結果ばかりで、子どもが何をしようとしていたか、何をしていたかを見ていないことを、子どもは飽きるほど経験してきている。

実際、飽きてもいる。スーパーや飲食店などで親に注意されている子どもが、近くでたまたまその光景に出くわしたわたしでさえビビったり、むかついたりするのに、本人はあんまり堪えていないというか、耳に入ってはいるのだろうけれどぜんぜん届いてない感じで平然としていることが、よくあるんです。

それは子ども自身が本能的に鈍感さを身につけたということでもあるのだろうし、本当に聞き飽きてもいるのだと思うのです。

 

たとえば食事中、親が「こぼさないように食べなさい」と言う。子どものお皿の周囲や膝には米粒が、あるいは卵焼きのはしくれが、とうもろこしの一粒が、ひき肉のかけらが落ちている。

でも、その子どもは、こぼさないように食べていないとも限らないよなと思う。こぼすつもりなんてなかった子どもは、その言葉をどうやって受け入れればいいんだろう?

こぼさないように食べていたり、こぼさずに食べることに慣れてきたから、親の指摘はたぶん一、二度で済んでいたのであって、こぼさずに食べる意識や習慣が本当に、微塵も、なければ、人はたぶんもっとこぼすはずだと思う。もちろん子どもも。

などと言うと、そんなことは屁理屈だと怒られる。でも、正しい言葉遣いを求める大人は、たいてい正確な指摘をしません。それで、子どもはよく知っていく。「大人はけっこう適当なことを言う」。

子どもの指摘は「生意気」でも「屁理屈」でもない

それに、少なくとも子どもはこぼそうとしたわけではないのに、こぼさないように食べなさいといちいち指摘されたり、なんか怒られたり、こぼさないように食べることを意識しながら食事をさせられていたら、絶対に楽しくないですよね。

おいしそうなものを見て、食べたらおいしくて、家族や友人や好きな人と食べているときならその喜びを共有しあって、それでおいしいものや食べること、人と喜びを共有することが、もっと好きになる。
そんな幸福を奪われたくはないし、もちろん奪いたくもないと思う。

 

「こぼさないように食べなさい」に類似した言葉はいくらでもあります。前を見て歩きなさい、物を粗末にしてはいけません、ちゃんと片付けなさい、忘れ物をしないようにしなさい、妹・弟に優しくしなさい

大人は相手が子どもだからこそ適当にお粗末に伝えるけれど、相手が子どもだからこそ、なんでも正確に丁寧に話すべきなんですよね。
それはもちろん子どものためであって大人のためではないけれど、その子どもはきっと、「生意気」でも「屁理屈」でもない正確な指摘を、いつも大人にし続けてくれるだろうと思うのです。

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