こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
今朝、facebookにて つぶやいた投稿記事より。
【人生は楽しい、と思っている人といると、楽しい】
不登校初級のころ
学校に行くのを行き渋るようになって、、、
親はなんとか行かそうとして、、、
でもやっぱ子どもは行かなくて、、、
そのうちに親のほうが「ほんの少しわかってきて」そこまでして行かさなくても、と思うようになって、、、
でもでもやっぱ親だって揺れて、、、
朝、よその子どもたちが通学している姿を見ると、なんだか、なんだか、なんだかの不登校初級のころ、
「なんで うちの子は 行けないんやろ…」ってね思うやん、
通学姿を見ると かなしくてさ…。
不登校上級編
今朝、久しぶりに通学時間帯に移動していて、学校に向かうたくさんの子どもたちを見た。
不登校も上級になると、ちがう意味で、あの光景はかなしくなる(こわくなる)。
(見たかぎりでは)楽しそうに歩いている子がいなくて、重たそうなランドセルに、プラス、両手に手提げかばん。肩からは水筒。
ひとりで、トボトボと、下を向いて歩く少年。。。
仮に、その姿を見たお母さんが「学校休んで今からユニバ行こ!!」って行ったら、この子の足どりは、どんなにか踊りだすんやろ、って思った。
前提、かえようや、って思った。
不登校ほど学びの大きいものはない
不登校は、前提をかえてくれるよね。
生きる意味を教えてくれるよね。
一生に間違いも正解もない。