こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
トークライブでは、いつもご質問をたくさんいただきます。
時間がなくてそのときお答えできなかった「幼稚園では良い子、家ではグズグズ… 親はどうしたらいいの?」にお答えします。
(ほかにもたくさんあるので、順次お答えしていきます!)
もくじ
外では「いい子」家では「いい子じゃない」は健全に育っている証
[box class=”blue_box” title=”ご質問”]
幼稚園では、めいっぱい良い子
家では、グズグズ、イライラして親にあたります。
親はどうしたらいいですか?
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これね、めちゃくちゃ健全じゃないですか!
だから、
> 親はどうしたらいいですか?
親はよろこんだらいい!
質問者さん、こどもさんの具体的な状況がわからないので一概には言えませんが、「外ではいい子で、家ではグズグズする」って、いたって 自然なこと だとおもうんですね。
でもって、家の中でそんなふうに自然でいられるのは、おうち(心臓部分)がリラックスできている からであり、
リラックスできるのは、ほかでもない お母さんに安心している からです。
だれもが社会で生きている
にんげんだもん。わたしたちもいっしょですよね。おとなだって大なり小なり、外では「いい子」しています。
知り合いやママ友とランチに行くときだって、行動にしろ好みにしろ話題にしろ、それなりには合わせるし、いい意味での遠慮もするじゃないですか。
職場だったらなおさらですよね。コピーをとるよう言われたときにグズグズはしないし、ちょっとした理不尽なことや、我慢を要するようなときもイライラを前面には出しません。
こどもも同じです。
貸してあげたくない玩具を貸してあげたり、遊びたい遊具が使われていたり。もっと歌っていたいのに時間がきたり、思い通りにいかないことでいっぱい。
苦手なものが出てきた給食の日に、がんばって食べたりね。
みんな社会で生きています。
自分がしてほしいことが「親はどうしたらいいか?」の答え
だけど、家に帰ってきて、洗濯ものを取り入れて、、お風呂をわかして、、ごはんの用意して、、としているときに、「ちょっとコレ、コピーして〜」とこどもや家族に頼まれたりしようものなら、イライラが前面に出たりもしませんか?
会社にいるときみたいに即座に「はい」と返事をして、キビキビとプリンターのところまで歩いていったりはしないとおもうんです。
わたしの家の場合だったら、プリンターは自分が座っている真後ろにあるんだけれど(歩かなくても手が届くキョリ)、それでも遠いです笑。キビキビのひとかけらさえないです笑。
食事のあとの洗いものだって、お尻があがるまで、グズグズこのうえない。
そんなとき家族に、「イライラしないでさっさとコピーしなさい」とか、「グズグズしてないで洗いものしなさい」てなふうに言われたら、どんな気持ちになるだろう?
そのとき、
こういうふうに言ってもらいたい、、、
こういうふうにしてもらいたい、、、
とおもうことって、こども・おとなに差異はない。
だから、この先もね、こどもとの暮らしのなかで「どうしたらいいのか?」って悩んだとき、自分に置き換えてみて、自分がしてほしいこと が、「親はどうしたらいいですか?」の答えじゃないのかな、とおもいます。
グズグズイライラに隠されている紡ぎ
こどもが学校に行かなくて… や、ゲームやめなくて… も同じですね。
どう言っても行かないんです、何度言ってもやめないんです。どうしたらいいですか? というけれど、
自分が会社にどーしても行きたくなくて(行けなくて)、、、でも行かなきゃどーやって食べていくのよ、お金はどーするのよ、、、てな心境のときに、
あなたの親から「おとなは働くものよ。お父さんやお母さんもイヤでもがんばってきたのよ。働かないでどうやって食べていくつもり? お金はどうするの?」と言われたりしたら、どうですか?
こんなとき親に、どうしてもらいたいですか?
どうしてくれたら、「いのち」が紡がれますか?
家に帰ってきて、洗濯もの取り入れて、、お風呂わかして、、ごはんの用意して、、していて、「ちょっとコレ、コピーして〜」とこどもや家族に頼まれたとき。
「わかった〜。このあと(洗濯ものの取り入れやお風呂やごはんの用意のあと)でもいいかなあ?」ときいて、返事が「いいよ〜」なら、なんの問題もないですよね? イライラも登場しません。
でも、「今すぐ!」だったら?
今すぐ必要なんであれば、家事の手をとめて、コピーが最優先です。
だって《いま》いちばん必要なのは、コピーなんだから。
で、《いま》いちばん必要なのはコピーなのではなく(コピーは口実)、「甘えたい」だったら、、、むぎゅ〜 です。
だって《いま》いちばん必要なのは、むぎゅ〜(愛される)なんだから。
今夜、洗濯ものを取り入れなくたって、お風呂をわかさなくたって、ごはんを適当なものにしたって、死にはしません。
だけど このときの「むぎゅ〜」は、健全ないのちとなって紡がれていきます。
グズグズ、イライラして親にあたるのは、甘えているから。甘えたいから。甘えられるから。
「幼稚園ではめいっぱい良い子」とはどういうことか
あと、
通われている幼稚園がしつけに厳しいなどの理由からこどもさんが萎縮していたり、強いストレスをかかえている場合を除いて、
こどもが外でいい子なのは、がまんしているというよりも、人として、人にしてはイケナイことをからだでわかっている からではないでしょうか。
ネコやイヌとおなじで、みんな社会で生きている生きものとして。
幼稚園の先生は往々にして、
「今日もこんなふうにいい子でしたよ、こんなことができましたよ」という部分を伝えてくれる(褒めてくれる)じゃないですか?
給食を残さず食べたとか、お友だちのお世話をしたとか、、、。
わたしごとだけど、そういった評価に興味がなかったわたしは、先生に言ったんです。
「今日、どんなときに笑ってました〜?」。
「どんなとき満足そうな顔や、真剣な顔をしてましたあ?」って。
(ちなみにトップ画像の、砂場で真剣になにかを作っているのは、3歳2ヶ月のまりんさん)
幼稚園の先生が、「給食を残さず食べてエラかったですよ!」「自分から謝れてリッパでしたよ」といった評価を口にされたときに、親が特によろこんだ顔をしないで「あ、そうなんだ〜」と聞き流すくらいの態度 をとっていると、こどもも自分のモノサシを大事にする人になっていきます。
親のすることは、物事を上下で見る習慣を変えていくこと だとおもいます。