7月のつぶやき

随時更新です。

2023/07/04

「自己肯定感を高めましょう」「こどもの自己肯定感を高めてあげましょう」と流行りごとのように彼方此方でいわれているけれども、自己やこどもの肯定感を高めるっていうのは、つまるところジャッジしているわけやん。こんな自分でもいいんだ、そんなあなたでもいいのよ、ママはあなたを肯定しているわよ、みたいなのって、「こんな自分でもいいんだ」の「こんな」に値する事柄にたいしていいわるいとジャッジしてのことでしょ? それって反対側に「否定」がある。
こどもの肯定感を育ててあげましょうとか言うけど、それって評価の支配からなあんも解放されてない。おなじ土俵のコートで肯定vs否定で対抗しているだけ。響きだけよくて、たまったもんちゃう。「自己肯定感」なんてそもそもないのに。(y)

2023/07/13

なんでありがとうって言えないの? と言われてもなあ。。。4、5歳ぐらいのこどもが親にそう言われて怒られている。わたし以外にも人が(そこそこたくさん)いる電車のなかで。
いやぁ〜つらい。こういう場面にでくわすと胸がキュウゥゥて痛くなる。
弟がなにか言った。親はひとさし指を唇にあててシー! と言う。これも。。(y)

2023/07/14

信号待ちをしているとき聞こえてきた父娘の会話。
(7歳ぐらいかな)「パパはさっきの見てどう思った? 話してみて〜」
親 「『どう思った? 話してみて〜』って……」(← いやちょっと待て親に向かってその言い方はなんだ? とタジタジなニュアンスの返答)
(そのニュアンスを感じて)「え? パパもリコ(仮名)にそう言ったよ」

(察するに、なにか展示等を見てきたとこで、親に感想を求められ話しながら歩いてきて、今度は子が親に聞いたのかなってかんじ。それがちょうど信号待ちのとこやったから隣で立つわたしに聞こえた。
文章だとこどもさんの口調のトーンとかを表すのむずかしいんだけど、そのトーンは成果を期待してこどもにものを尋ねるときの親の口調。「今日はディズニーランド楽しかった?」みたいな。おとなが友だちや同僚に尋ねる「ディズニーランド楽しかった?」「映画どうだった?」ではなく。でもってこの親さんはオウム返しされた口調で言われるのははじめてのことだったようにみえた。)

昨日、電車でであったきょうだいを思い出した。あと2、3年か? どうかうまく逃げてくれ。(y)

2023/07/17

自由には責任がともなうものです、まあそれはそうだろうが、これこそが真髄ですと誇示していくほど画期的でない。こぼれた水を拭く、床に落ちて割れてしまった卵の始末をする。ここは自由な場なので、こどもたちは自分が飲んでいた水をこぼしたら自分で拭きます。わあえらいね!か。愚行と尻拭いの話にしたがる大人の多いこと。ものごとの区切りなんてあるようでなくて、いくつもの瞬間が、一生が終わるまで自由と責任というものを延々と引き伸ばして、奇天烈な形を成すのだろう。割れてしまった卵はいつまでもわたしの心に落ちて腐りもしない。(m)

2023/07/18

不登校経験者のこどもがまだいわゆる就学年齢のうちに、その親が、不登校でもだいじょうぶとか不登校なおりました的な発信を本やブログでできるのってすごいな、と常々おもう。こどもにのしかかる重み、そうとうなもんちゃうんかなあ。
自分がこどものころ、母が、わたしの私事を親戚や近所の人とかに話す(カーネーションをくれただの家の手伝いをよくしてくれるだの〇〇大学に合格しただのといったことを話す)のをみては「頼むからやめてくれ!」と言っていた自分なんかはそう思う。(y)

2023/07/19

自分たちの本を読み返したりしていると、目もあてられない箇所はしばしばある。今よりずっと核心的に、気高く感じられるところもあるけれども、本当にどうしようもないところもある。それはわたしたち自身の変化もあるし、社会やら「業界」やらの情勢の変化によるものもある。能力主義はごめんだが、能力というものは確かにあって、それが環境によって異なった形で膨らんだり萎んだりするというのはまったくおかしな話ではない。四年前にはまだカウンターとしての価値があったかもしれない。けれど今はそうでもない。(m)

2023/07/20

小中高とすすんでいく既成のレールが敷かれていて、そのレールから降りた状態が「不登校」なんだろうけど、最近は(とくに「教育機会確保法」が制定してからは)、クラスジャパンしかりカタリバしかり(ほかにもいろいろあるけれど)不登校対策事業によって「不登校」もまた不登校ですすんでいくレールが敷かれている(悪い意味で)。
これじゃあ、降りられない。降りたと思ったそこにも人材教育は追っかけてきて、小中高とすすんでいくルートも不登校のルートも最終地点(雇用・労働者の確保)で合流させられてしまう。ひとのオールを食べちゃう怪獣みたいだ。

東名高速や名神高速などに「右ルート」と「左ルート」ってのがある。

出典:https://www.mobilitystory.com/article/entry/2022/06/post-192/?page=2#main_col

この右ルートと左ルート、最終は合流してまた元の一つの道に戻る。なので、どちらのルートを選んでも行き着く先は同じ。
似ている。けどまったくもって似ていない。「宙船」じゃないけど、自分のオールをまかせるな。(y)

2023/07/23

『大いなる自由』と『刑法175条』を(同じ日つづけて)観てきた。
(『大いなる自由』は第二次大戦後のドイツ、同性愛を禁じる刑法175条のもと不条理な迫害の歴史の中で、愛と自由の本質を見つめた静かな衝撃作。『刑法175条』はナチ政権下で迫害された同性愛者たちを描くドキュメンタリー。)
同性愛を禁じる刑法175条があることで愛する自由を奪われ、愛したら有罪になり刑務所へ送られ、存在を否定される。刑法175条がなくなったら(1994年撤廃)愛することは罪ではなくなった。
法ってなんだろうか。人権とはなんだろうか。尊厳とは、自由とは、愛とは、なにであろうか。
『大いなる自由』、ラスト近くの「大いなる自由」店の皮肉に今日(《正解主義》《前例主義》《事勿れ主義》)を見、ラストに大いなる自由を見せつけられた。すごい映画だった。考えごとがやまない。

2023/07/28

岩見沢から帰ってきた(https://ai-am.net/fids-hokkaido)。(←ブログで書いたこと以外にも)「F.I.D.S. デモクラティックスクール」のスタッフが言う、不便さを改善していくプロセス、考えて工夫していく機会、協力・協同の意味や役割、大切さ。こういう教室で教科書をつかってはなかなか学べないものを目の当たりにしてきた。
それともうひとつ、親の存在が軽くなっていくであろうこどもたちを目の当たりにしてきた。あんなことした、こんなことした、と目に見える体験以前のこととして、写真には写らないこの体験はこのうえなく貴重。ここにはオールを奪う親や自由を ”与える” おとなはいない。

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