こんにちは、
AI-am(アイアム)です。
2019年8月31日(土)、福井県鯖江市の嚮陽(きょうよう)会館にて、
長谷川さやか さん主催のもと、
森のようちえん「自然育児 森のわらべ多治見園」園長・浅井智子さん(『 お母ちゃん革命 』著者)と、
わたしたち吉田晃子・星山海琳のトークライブが開催されましたー。
そのレポートです。
もくじ
行動が情熱を生む
主催者・長谷川さやかさんが行動することであふれでた情熱。
その情熱に突き動かされてご参加くださった、たくさんの人たち。
情熱は、行動することで湧きでてくるものだとおもうんですね。情熱があるから行動が起こるのではなくて。
今回の《子どもは天才!! トークライブ》は、まさに、この「情熱」が現実をつくりだしました。
全力で「主催する」に取り組んで、成果を上げられたさやかさん。そのさやかさんこそが《天才》でした!
天才って、やるべきことをしっている人だとおもうのです。
福井駅前に迎えにきてくれたさやかさんを初めて見たとき、「レベッカのnokkoみたい」と、こころのなかでおもっていたのだけど、
小柄でかわいくてきれいなさやかさんは声量もすごくって、大きく輝いていたのでした。
子どもは天才!! トークライブ
子どもは天才!! トークライブ
〜幸せになるためのいろいろな選択肢〜
浅井智子さんの自己紹介から始まったトークライブ。
本の話をしていたかと思うと、卒業式の話になったり、まりんさんが通っていた幼稚園の話になったり、こどもをやめる話に流れたり。
そんな冒頭を経て、子どもへの愛、智子さんの息子さんのゲームの話や、思春期の子育てのむずかしさなど親としての在りかたをわたしたちも聞かせていただきました。
アッというまの2時間。智子さんとよっぴー、それぞれがもつ異なった2つの価値観に触れてもらえたのならうれしいです。
「学校に行かない」は「お風呂やさんに行かない」とおなじこと
智子さんとの対談のなかで、「『学校に行かない』というのは、『お風呂やさんに行かない』ってのとおんなじやん」と、わたしが言う場面がありました。
「不登校でも大丈夫」という言い方があるじゃないですか。
この「不登校でも大丈夫」という考えは、「不登校」と「登校」は対等にあるのではなく、「登校」が 上だったり、◎ だったりの前提になっているんだと思うんです。
わたしたち(よっぴーまりん)は不登校をすることについて、「大丈夫」か、「大丈夫じゃない」か、という定規を持ってないから、
たとえて言えばそれは、「学校に行かない」は、「お風呂やさんに行かない」とおんなじことになるのでした。
「大丈夫」か、「大丈夫じゃない」か、という定規を持ってなかったら、「お風呂やさんに行かなくても大丈夫」とはならないでしょ?!
いろいろな選択肢
公の学校へ行かなくても生きていけるということ、自分で楽しい人生へと向かっていけばいいこと、いろんな道があるということを知るだけでも違うと思うんです
↑は、主催者さやかさんの、今回のトークライブ開催への想いの一部です。
小学校 → 中学校 → 高校と行く以外にもたくさんのルート、というか、道は、360度です。人の数だけ道はあります。
オルタナティブ不登校 をしている方のなかでは、
小学校と中学校は、行かない、または自分のペースにあわせて登校したり、不登校をしたりして過ごし、高校は通信にして、好きなことに没頭している方は多いです。
大学に行きたいけどお金がない…… っていうんであれば、奨学金で行くのもひとつの方法ですが、
高校へは行かないで(もしくは夜間の定時制高校や通信の高校にして)働き、大学への入学金および4年間の学費を稼ぐことだってできます。
進路はひとつしかないと思われがちだけど、たくさんの選択肢、たくさんのパターンがあります。
↓↓↓ いくつかのパターンを挙げています。
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よっぴーまりんの反省
これは蛇足ですが、あえてブログに書きます。
今回の対談は、智子さんと、よっぴーと、まりんさんと、3人の 対話 になっていなかったことを反省しています。
智子さんが伝えたこと、よっぴーが伝えたこと、ひとつひとつは気持ちのこもった、意味のある発言だったと思います。
ただ、対話 にならず個体のままニュースのように、ご参加くださったみなさんにむけて発しただけのものになっていました。
ご参加くださった方のなかには、「まりんちゃんは話さない人なんだあ」とおもわれた方もいるかもしれません。
トークライブ中、智子さんはまりんさんに「なにか伝えたいことはない?」と尋ねました。「”伝えたい” こと、”言いたい” ことはなにもない」とまりんさん。
よっぴーも「彼女は教えたい欲がない人だから」と、短絡的な言い方をしてしまいました。
まりんさんは、間違いを正したり、指図や先回りをしない人で、対話や議論などがとっても好きです。
森のようちえんを卒園したこどもたちに選択肢がないことに罪悪感をかかえていたと言う智子さんは、
卒園したこどもたちが、とてもつらそうに学校のことを語るのを聞き、こどもたち自身の声で「ともちゃん、学校をつくって」と言われたとき、「『つくります』と言っちゃったの」と述べます。
学校をつくろうと決心をされた智子さん。
11歳のとき、まなび舎をもたない学校(親も参加できるデモクラティックコミュニティ)をつくったまりんさん。
よっぴーも経験しています。
智子さんも教育者です。
教育とはなにであり、なにを目指して行うのかというテーマを対話ができる立場です。
「学校をつくる」と言われたからこそ、智子さんのおもう天才、主体性、自律性、選択肢のこと、自分を生きるということ、教育観についてなど、ご参加くださったみなさんにもっと届けられたらよかったです。
それは、学校やようちえんだけではなく、家庭において、こどもたちとの毎日の暮らしにこそいきるものだとおもうから。
ほんとうに勉強になりました。
今回のことを糧に、さらにすてきな時間を作っていきたいと思います。
(9月29日(日)、沖縄にて出版を記念したイベントにて、またまたすてきな教育者の方と対談をします!ぜひぜひお越しください)
ちなみに上のほうで、
天才って、やるべきことをしっている人だとおもうのです。
と書いています。
実はこれ、トークライブが開催される福井にむかう列車のなかで、「天才ってなんだろう?」とよっぴーまりん2人で交わしていた対話の結果でした。
明日にはまた、変わるかもしれません。
それでもこうしてほんの少しの時間でも対話(や議論)をすることで、既存の答えに頼らない創造精神は維持できていきます。
創造精神の反対、所有精神
「大学を卒業して、いまなにやってるの?」と智子さんがまりんさんに聞きました。
まりんさんは「いや〜べつに。まえといっしょ」とこたえました。
智子さんは、軽く、間のわるい想いをされたんじゃないのかな。
肩書きを訊くんですよね、おとなって。
わたしたちの前の本『小さな天才の育て方・育ち方-小・中・高に通わず大学へ行った話』の75、76ページに書かれていることが、まりんさんのこたえなのでしょう。
「学生」です
なにをしているのか、というある種ひどくあいまいな質問をされたときに、わたしは「学生です」と答えられる立場になりました。これは、すごく便利です。便利すぎて、なんだか無性に、楽をしている気になります。
「なにをしているか」っていうのは、そんなことなんでしょうか。
自分の役割。それは学生なんだろうか? 学生で、なにかを専攻していて、それで納得できてしまうのはどうしてだろう。それはなんにも答えになっていないような気がして、わたしは未だに「学生です」と答えるのをためらってしまいます。(後略)
引用:『小さな天才の育て方・育ち方-小・中・高に通わず大学へ行った話』p.75-76
職業でいえばまりんさんは、学生のときから、作者や著者、執筆者、AI-amの経営などをしています。
facebookに載せられたご感想より
主催者・長谷川さやかさん
浅井智子さん
ご参加者さん
AIをありがとう
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
主催してくださった長谷川さやかさん、ありがとうございました。
実行委員のみなさん、ありがとうございました。
浅井智子さん、ありがとうございました。
ホントにおもしろかったーーー!!
会場にて、9月18日発売予定のよっぴーまりんの共著『 不登校になって伸びた7つの能力 』(廣済堂出版)を予約してくださったみなさん、ありがとうございました。
手元に届きしだい、サインをして送らせていただきます。
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