教育からお茶が無くなっている。

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

教育からお茶がなくなったらあかんよー というおはなしです。

facebookのコメントより

 

お茶文化

ウワサの保護者会の前編、「学校に行かない!~子どもたちの思い~」の感想を書いた お茶を飲みながら子どもはちゃんと考えているということ の記事をfacebookにシェアしたとき、

制作にあたられている番組ディレクターの渥美素子さんからコメントをいただきました。

 

そのときにね、

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/09/スクリーンショット-2019-09-10-21.07.35.png” name=”渥美素子ディレクター” type=”l”]

お茶がないと無茶、たしかに!
命のペースを無視した場所には、命そのものみたいな子どもが合わないのも当然なのですよね。

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と言われる素子さんは、つづけて、こんな話↓↓をされました。

 

[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/09/スクリーンショット-2019-09-10-21.07.35.png” name=”渥美素子ディレクター” type=”l”]

ちなみにうちの父は静岡県出身で、お茶文化の地域に私の祖父母がいました。おじいちゃんおばあちゃんの家に行くと、「まずはお茶」が当たり前でした。毎食後、午前のお茶休憩、午後もみんなでお茶、来客があればお茶。外出から戻ればお茶。ゆったりした空気が大好きでした。

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そこから、しばし、お茶のはなしになりました。

 

とってもいいおはなしなので、シェアさせてもらいますね(素子さんにはご了承いただいています)

 

以下、コメントより

↓↓↓

 

facebookページはこちら >>> https://www.facebook.com/yo.akiko/posts/912855249082996

 

それは美学

忙しくされる素子さんも言われます。

「私も共働き家庭で育ったのですが、母が帰ってきたら一緒にお茶するのがとても楽しみでした。いまもよくお茶を淹れてます。」

 

たとえ一日に1回だけでも、急須でお茶を淹れて、家族でお茶をしませんか。

それは、意識と無意識の間にある自然体(でありたいんです)

(トップの写真は、まりん11歳のときのもの)

 

 

『ウワサの保護者会』学校に行かない!~子どもたちの思い~ 前編の感想はこちら↓↓↓
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『ウワサの保護者会』学校に行かない!~進路はどうする?~ 後編の感想はこちら↓↓↓
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