こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
NHK『ウワサの保護者会』、学校に行かない! の後編、「学校に行かなかったら、その後の進路はどうなる?」を見ました。
見ていて、いろんなことおもったけど(いろんなことおもいすぎて、「働く」についてや、自立や依存、安心についての感想は長くなったのでカットしたけど)、
おとなってほんと臆病者だなってことを痛感しました。
前編の「学校に行かない!~子どもたちの思い~」の感想はこちら↓↓↓
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もくじ
臆病者のおとなが、健全なこどもを臆病者にしていく
わたしたちおとなって、ほんと臆病者ですね。
正確に言えば、臆病者にさせられた、になるのかな。
だれに?
こどものころの日々の暮らしのなか、親(祖父母)をはじめとするおとなたちにです。
親もまた、親自身こどものころの日々の暮らしのなかで、親(祖父母)をはじめとするおとなたちに臆病にさせられてきたんでしょう。
「ちゃんとしなさい」と言って。
でもって、
自身がそこそこの年齢になっても(たとえば14,15歳ころだったり、17,18歳ころだったり、成人以降)、反抗することなく、「ちゃんとしなさい」に従属してきたのでしょう。
支配語「ちゃんとしなさい」の翻訳
この「ちゃんとしなさい」って言葉は、否定語じゃないですか。
そして支配語じゃないですか。
「ちゃんとしなさい」に含まれるメッセージは、
「そんなことではダメだよ、こういうふうにしなさい」だとおもうんですね。
で、たいてい、2回、3回、、、
10回、100回、、、親に言われるんですよね、「ちゃんとしなさい」と。(こうして自己嫌悪が根づいていく)
[voice icon=”” name=”” type=”l”]そんなことでどうするの? あなたのことを想って言ってるのよ[/voice]
[voice icon=”” name=”” type=”l”]親の言うとおりちゃんとしないと、ちゃんとしたおとなになれないのよ[/voice]
[voice icon=”” name=”” type=”l”]親の言うとおりちゃんとしないと、世間様に迷惑がかかるよ。世間様に笑われるよ[/voice]
[voice icon=”” name=”” type=”l”]そんなことでは世の中に出たら生きていけないよ。世の中、甘くないんだよ[/voice]
[voice icon=”” name=”” type=”l”]etc…[/voice]
自分を信頼できないと他者を信頼できない
自身が自分の頭で考え、判断して、行動して、経験してきて、たくさんの失敗や後悔をくりかえしながら、自分なりのこたえにたどり着いて “いま” を生きていない人(社会通念に従属な人)の「ちゃんと」はミニサイズ。
受容量が小さいというか、
学校の教室とおんなじぐらい、世界が狭いというか。
だから、頼りないんですよね、自分でも、自分が。
自分を信頼できないと、怖いです。そりゃあ。
そこでビッグサイズのもの(者や物出来事)に出会えた人はいいけれど、
出会うものもまたミニサイズのままだったら、
結局のところ、社会通念に頼ったままだから、つい言ってしまうんですよね、「ちゃんとしなさい」を。
「つい」の罪
世界はきらきらと希望に満ちて、可能性は無限なんだよ、というメッセージに包まれるんではなく、
教室の窮屈さしかまだ知らないうちに、次なる世界も怖いんだよと言い与えられることは、
こどもにとって、世間ってそんなところなんだ… っておもってしまうんですよね。
世間に迷惑をかけたらいけないんだ。。。
なにがあっても自分の力でがんばっていかないといけないんだ。。。
親はわたしを想って言ってくれてるんだ。。。
親は正しいんだ。。。
こんな自分では親に申し訳ないんだ。。。
わたしはダメなにんげんなんだ。。。 と。
「無償の愛」と「支配の愛」
自身に「恐れ」がある人(親)は、人(わが子)を支配します。
だから、子を想っての親心が、無償の愛ではなく、支配の愛になってしまいますが、
支配愛は、こどもに、自分にある「恐れ」を担がせてしまいます。
「ちゃんとしなさい」と言って。
「そんなことでどうするの」と言って。
番組のなかで、尾木ママが言うんですよね。
「なんとか生きていけるだろう」
「困ったときは誰かに頼ればいいだろう」
※ 正確には、げんきさんの話を聞いた尾木ママが、「なんとか生きていけるもんだろうとか、困ったときは誰かに頼ればいいだろうとか、ものすごく大事なことを学んでいるとおもいますよ」と言われました。
こどもに贈っていきたい姿勢や態度、まなざしは、こちらだとおもっています。
そうなったら素敵。そうならなくても素敵。
ほら! つたい歩きをしはじめた赤ちゃんに、歩くことの怖さなんて教えないでしょ?
赤ちゃんがドテンと尻もちをついたとき、たとえ生理痛でイラついてる日や、夫婦ケンカの真っ最中でも、つい言ったりしなかったでしょ? 「そんなことでどうするの」や「ちゃんとしなさい」なんて赤ちゃんに。
じょうずに1歩 歩いても、ドテンと尻もちついたって、わたしたち親は、あたたかな まなざしを贈りつづけてきたじゃないですかあ。
1歩 歩いても、ドテンと尻もちついても、そんなことは関係ない愛を。
そうなったら素敵。そうならなくても素敵の愛を。
だからこどもは安心して歩きだしたのでしょ?
どんな自分も愛されていると確信して。
「不登校」もおなじです。
経験者の存在は大きい
番組のなかで、げんきさんの話を聞いた14歳のアオイさんが「思い切りがすごいなとおもう」って言われる場面がありました。
アオイさんは言います。
「わたしは悩みがちの性格なので、いろいろ考えちゃって、一歩ふみ出すのにも時間がかかる。なんとかなるっておもう前に、(一歩ふみ出すのを)やめちゃうことが多い」
だけども、今回、
自身が自分の頭で考え、判断して、行動して、経験してきて、自分なりのこたえにたどり着いて “いま” を生きている7人の方々に逢われたアオイさんは、こう言って↓↓↓しめるんですよね。
実は、番組を見ていた何人かの中学生の方から LINE@ にメッセージが来たんです。
- それなのに一歩ふみ出してテレビに出たアオイさんに、勇気をもらった
- わたしもなんとかなるっておもう前に(一歩ふみ出すのを)やめてばっかりだったけど、がんばってみようとおもった
- アオイさん、すでにやってるし。そういうことなんだ
- などなど。
ななこさん(前編で紹介された)や、しいなさんの経験もよかったですー、なども。
若者から 少年・少女たちへ、という構成。
当事者の方が語られる確かな言葉は、非常に心強い励みとなるとおもいます。
経験者の存在は大きいですからね。
歩みはひとつではない
学校に行っていない10代の3名と、学校に行かなかった経験がある若者7名が、スタジオで語り合われた、今回の『ウワサの保護者会』。
学校に行かなかった経験がある各7名が歩んだ道↓↓↓
アオイさんたち3人は、スタジオで7人から、
番組を見ていたこどもたち・わたしたちは10人から、
「ちゃんと」なんて凌駕したビッグサイズのものに出会わさせてもらい、
方向も進む速さも、人それぞれ。自分なりの道を歩んでいけばいいことを、知ることができました。
余談ですが、↑のクリップの赤枠「学校に行かなかった期間」、
げんきさんと一緒で、わが家の息子も、いまだに「学校に行かなかった期間」になるのが、おかしかった^^
生きるだけなら簡単。人を助けたり、助けられたりできれば、生きていくだけなら全然問題ない。(げんきさんの言葉より)
げんきさんのメッセージを聞き、
教育学者の苫野一徳さんも、「我々は人の力を借りる力というのを育んでいくことを考えなきゃいけないと今日はおもいましたね」と語られていました。
おもうんですよね。
「自立」って辞書では、自分以外のものの助けなしで、自分の力で物事をやっていくこと。とありますが、
自立は、「助けて」と言える力が育つことではないでしょうか。
生まれたての赤ちゃんは親に100% 依存しないと生きていけません。
だけどおとなになるにつれ、親に100% 依存しなくても、たくさんの人に依存しながら生きていく。これが自立だと。
だからこそ、だれと出会うか、、、だけど、まずは「臆病」を自覚していこう、とおもう(また詳しく書きますね)。
今回もあったかい内容でしたね。
制作にあたられている番組ディレクターの渥美素子さんのお人柄でしょうね。
素子さんは、言われます。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/09/スクリーンショット-2019-09-10-21.07.35.png” name=”渥美素子さん” type=”l”]ほんと、これは大人の問題であり、子どもが弱いとか問題があるのではない!ことを伝えたいと、いつも思いながら制作にあたっています[/voice]
そんな素子さんとの「ちょっとここだけのお茶ばなし」はこちら >>> https://ai-am.net/ocha
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[aside]再放送のお知らせ
9月14日(土)お昼12:30〜12:55
『ウワサの保護者会』学校に行かない!~進路はどうする?~、再放送があります。
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