こんにちは。
AI-am(アイアム)の よっぴー、まりん です。
本日11月27日、「オヤトコ学校 いい舟」が3周年を迎えました!(パチパチパチ〜👏)
それもこれもひとえに、いっしょに勉強してくれる方々がいてくださっているからです。ほんとうにありがとうございます。
ひとつ屋根の下で暮らす家族、その誰もが心地よく暮らしていける家庭をみんなで築いていきたい、とする親さんたちの熱心さに支えられてわたしたちもまた、そこにある親と子のヨコの関係を、この2年間、本気で考えつづけてきました。
親と子。
うんとうんと昔から続く従来のタテの関係をヨコの関係にしていくには、頭を開くところからで、だけども頭を開くことは簡単なことではなくて(ほんとは単純なことなんだけどね)。
たとえば、こどもが、親になにも言わずに(親の許可を得ずに)こどもの友だちを家に連れてきたり、呼んだり、泊めたりしたら、親はこどもになんか言うんじゃないかな? 「なに勝手なことしてるのよ」とか「ちゃんと先に言ってね」とかとか。
けれども自分(親)のときは、言わないんですよね。こどもに許可を取ったりなんてしないで、友だちを呼ぶ。
そこは 自分“たち”のおうちなのに、こどもの存在(こどもの都合や気持ち)に頭が閉じている。
なんでだろう?
今日のような社会的境界(階級や国境、性)をこえた「共感」は、18世紀に生まれたもので、それ以前にはなかったと言うじゃないですか。
「人間の権利」の観念が誕生する直前の時期に出版されたリチャードソンの『パラミ』や『クラリッサ』、ルソーの『ジュリ』が共感に慣れ親しむ可能性をひらいたのだろうと。
「こどもと親はヨコの関係」も、あと2世紀もすれば、そんなの当然だよね〜、って民主的で自律的な家庭が主流になってるのかな。なってたらいいな。
少しばかり先取りの「いい舟」🛶
今年からは、デモクラティックホーム もはじまりました! 海の近くのすてきなおうち🏡 です。
デモクラティックホームは「いい舟」の研修所のような役割でもあり、親と子のヨコの関係や、言葉にしてもしょうがない対等や尊重、信頼といったものを、肌で感じてもらえる生活の場です。
(いまは「いい舟」メンバーだけの開放としていますが、コロナの情勢を鑑みつつで、年明けからはいい舟メンバーのみならず、親さんたちだれもがどんどこ来ていただけるよう開放していく予定でいます! 楽しみにしててね♪ 来てね♪)
※ オヤトコ学校「いい舟」は、入校を一期生とか二期生といったクラス分けにはせず、いつでも、思い立ったときに、自分のペースで学べるシステムを取り入れています。
よっぴーまりんの関係も一朝一夕でできあがったものではなくて、毎日の暮らしのなかの、ほんとうに小さなちいさな出来事をどんなふうに見ていくか、その積み重ね。
その小さなちいさなところにスポットをあてながら、堅苦しく「対等とはなにか」「信頼とはなにか」と学んでいくのではなく、
親と子が暮らしている家庭にある、どこにでもあるような出来事(おもちゃを片付けないとか、ゲームばっかりしているなど親から見ての困りごとはもとより、親が無意識でしているもっともっと小さくてささいな出来事)をテーマに学んでいきます。
この2年間、わたしたち自身あたらしい発見と納得、反省がたくさんで、こうして学びは続いていくんだということを痛感しています。
「答え」「正解」ばかりが求められる世の中で、こんなふうに時間のかかること、こんなにもめんどくさい、掴みどころのないものを一緒に考え続けてくれていて、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
3年目の「いい舟」も、どうぞよろしくお願いします。
[box class=”yellow_box” title=”オンラインスクール「オヤトコ学校 いい舟」について” type=”simple”]
わたしたちの過ごしてきた環境にあるのは、タテの関係ばかりでした。あたりを見回してもそう、あらたまって勉強しなくても身についているし、日々自然と習得しています。
けれど、ヨコの関係はまわりに手本もなければ見本もない、教科書もありません。
ヨコの関係になるには、ヨコの関係について勉強する必要がある。なぜなら、わたしたちは知らないから。じゃあ、知っていけばいい!
「オヤトコ学校 いい舟」では、こんなことからはじめています。
ここであそぼう♪
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