こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
わたしが考える乳幼児の子どもが教えてくれるサンタクロースの あい と、
子育てという「育てあい、育ちあい」の存在意義さえ危うくなるきょうを、クリスマスプレゼントに入れてみました。
もくじ
サンタからのプレゼント
この時期
悲しませるつもりのなかった子どもの泣き顔と
眠れない毎日に部屋を丸くする子どもが
昨日までの明日に生きている
もうだいぶ前のことだけど、
息子が、
とサンタにプレゼントをお願いした。
ほしいものを紙に書いて、オーナメントに交えてクリスマスツリーに吊るしておくのがわが家のスタイルだったけど、吊るされたのは24日の朝。
正確には24日の朝方、ツリーに吊るして寝たんだろう。堂々と遅れてきて席に着く不良のように、朝、わたしが起きるとそこに掛けられていた。
x=2 ?
ゲームでもない、書籍でもない。。。
なんのことだか わからなくなった息子の成長。
でもサンタクロースには わかった。
サンタクロースの力は世界中で手をつなぐのですね。
恋をしている親の愛は下腹をふくらまして25日の朝を楽しみました。
サンタクロースへの誤解
サンタクロースが煙突から入ってくるとおもっている人は誤解しています。サンタクロースは心をつたって入ってきます。
それともうひとつ。
親がサンタクロースじゃありません。親はサンタクロースに愛をもらっているのです。
信頼は「する」ものじゃなく「ある」もの
AI-amの星山海琳さんが書いた記事「 信頼は「する」ものじゃなく「ある」もの 」を読んで、関連記事を書きたくなりました。
海琳さんは文中で
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親と子どものあいだに必要なのは信頼行為じゃなくて、信頼関係です。
夏は暑い、冬は寒い、そんなのはほとんど誰もが、言葉にする必要もないくらい信じている。
赤の他人同士ならむずかしくても、親子や家族って、そんなのができるものじゃないんでしょうか。
「どうすれば子どもを信じられるか」っていうのは、とても行為的です。
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と書いています。
どうすれば子どもを信じられるか
親子や家族が信頼しあえないのは、体(魂)ではなく、頭で子育てをしてきたからなんだとおもうのです。
今日生まれたわが子の存在は、人間の根源にある潜在意識に振動を刻み、無私の心に近づかせてくれます。
乳幼児の「親を育てる、人間を育てる」力、その子どもたちの信頼が親に育ててくれます。
0歳児のわたしたちへの信頼は絶対です。
けれども経済戦略に利用されてきたわたしたちは、「家族」「家庭」という無私や利他の出発点の犠牲となっています。
「子育て」中心社会の喪失
2008年2月27日、厚生労働省が発表した 新待機児童ゼロ作戦 に書かれた一文、「希望するすべての人が安心して子どもを預けて働くことができる社会を目指して」をみたとき、かなしみのあまり、恐怖と怒りをおぼえたのを覚えています。
未満児保育を増やそうとしているけれど、わたしたちヒトは哺乳類の生きもの。
「希望するすべての子どもが安心して親と一緒にいることができる社会」を目指すことのほうが自然です。
子どもに寄り添う心
子どもと関わる者には「子どもに寄り添う心」が必要で、それはどんなことがあっても失ってはいけないもの。
その心が揺らいだとき、「信頼」は去ってゆく。
>>> 関連記事
親が子どもを信じられないのなら子どもは親を信じられない
サンタクロースの存在
保育施策も学校問題も、いいえ、家庭でさえも、未だ「子どもの気持ち」が中心に入ってきません。
今社会に必要なのは、「サービス」ではなく、人間性を取り戻すこと。
日ごろ一緒にいることはできなくても、年に一度教えてくれる。
親を育ててくれる あい あふれる子どもたち。
サンタクロースは子どもです。
メリークリスマス
「My idea of Christmas, whether old-fashioned or modern, is very simple: loving others. Come to think of it, why do we have to wait for Christmas to do that?」– Bob Hope –
【日本語訳】
『時代遅れであろうがなかろうが、私の考えるクリスマスは、とてもシンプルなものだ。それは、ただ他の人たちを愛すること。考えてみると、それをするのにクリスマスまで待つことはないね』
子どもに囲まれるしあわせ、子どもに信じてもらうしあわせを取り戻して欲しい。
昨日までの明日は消えても目の前にあるのも明日でしょう。まだ間に合う。