親が「待つ」をしないと子どもは何も学べない

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

いわゆる「子育て」時代、その日あった事柄や出来事を通して、子どもから学んだことをノートに綴っていました。

ノートの表紙に「今日はなにを学んだ?」と書いて。今日の記事はその中から、子育てと愛について綴っていた一編をまとめたものです。

 

「愛」を他人におくった人だけが、「あ、愛って、これなのか」とわかる

どうして(自分が)親になると、(自分の)親のありがたみがわかるのか、ということを考えていた時期がありました。

これは、そんなの当然やん、ということではないとおもうのです。

 

親にならないと親のありがたさがわからない、ということは……。

 

ほんとうに欲しいものは、誰かから与えてもらうことでしか手に入らないじゃないですか。自力では手に入らない

そうしてそれが ほんとうに自分が欲しいものだったということも、相手に与えないとわからない

 

「愛」を他者におくれた(送る・贈る)ときだけ、「あ、愛って、これなのか」とわかるのです。

 

親の仕事の目的

愛というものをわたしは説明できないけれど、愛は定義づけるものではなく 経験するもの じゃないのかな、とはおもっています。

ゆえに、親子というのもまた、出来上がっている関係ではなく、作りあげていくものだと。

なかったところに「有」を生み、育て、そうして子どもが「“ 親 ” を必要としなくなる」ことをめざして、自分の存在理由を消去するために全力を尽くす。

 

課題の明確化

家庭は生活の一番の場所です。しかしながら、安心できるはずの家庭でいらいらしている。

親子兄弟のDE・AIが持てないでいる。

 

自分が子どもだったら、そのとき、親にどうしてもらいたいのか……。

それはだれの課題なのか……。

 

課題は、思い通りにならない現実に立った生活そのものです。

課題を明確化することで、子どもの教えが聞こえてきます。真実の願いがみえてきます。

 

他の人に愛をおくるということ

海琳さんが年長(幼稚園)だった、冬の話です。

その日、買いものを終え、大阪地下鉄の電車に乗り込みました。乗るのは一駅。乗車時間は 1、2分です。

 

空いていた席に着くと、リュックと、買ったばかりのおもちゃが入った紙袋を足もとに置き、「暑いなあ〜」と言って、海琳さんは着ていた上着(ダウン)を脱ぎだしました。

脱いだダウンは膝のうえに乗せ、中に着ていたシャツも脱ごうと、ボタンをはずしはじめた。

 

ボタンと格闘(笑)していると、ダウンが落ちて通路のまんなかまで滑っていったんですね。で、それを拾おうとしたら今度は紙袋が倒れて……。

まあちょっとした よくある場面ですよね。

 

倒れた紙袋は座席とふくらはぎの間に入れ、ダウンは膝で挟んで、ボタンはずしの再開をしだします。

 

横で、海琳さんの知恵紙袋をふくらはぎの間に入れ、ダウンは膝で挟んだこと に「へぇ〜」と感心していると、降車駅に着いたとアナウンスが流れました。

 

やりたくないことは やらない。やりたいことを やる

このときわたしがしたくなかったことは、子どもはわたしが居ることで安心をしていた。その安心を掻き壊すような言動はしたくはない、ということでした。

なので このときわたしがしたことは、「 降り損なってもいいから、手出し、口出しせず、最後までだまっていよう という決心でした。

ただそのときに集中して、愛を送り、結果については心配しない、ということでした。

 

知恵はさき、知識はあと

条件もつけず、期待もしないで居られると、他者を変えようという意欲や目標を持たずにすむから、心の平和をかんじられるようになります。

ほんとうに自分が欲しいものだったということも、相手に与えないとわからないまさにですね!

 

数日後、上記の電車に乗って お出かけすることがあったんですね。

家を出る前に海琳さんが尋ねます。「この前の電車?」

「うん、そう」とこたえると、彼女は伸びてよれよれになっている半袖のTシャツを選んで着用してました。

 

ここでもまたわたしは教えてもらえたんです。知識や分別は、経験と共に身に付いていく、ということを。

 

親が「待つ」をしないと親も子どもも何も学べない

子育てというのは子育ちのそばに寄り添って、人に何かものをあげたときには ーお福分けー 与えたことの喜びを味わって、充実感を深めることが大切なんだとおもうのです。

 

自分を愛せる量だけしか、他の人からも愛されません

 

あなたとわたしが、愛と優しさをもって出会える場所でありたい

泣いたり笑ったり怒ったりしている現実の世界に生きるために。

 

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