こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
これが中東か! あまりに風土が別様だったアンマン(ヨルダン)と、後藤健二さんと、平和の話。
人は大地には逆らえない
アンマンの人は教育的だな、とおもった。
思考が挑戦的、っていうのかな。
会話をしたわけではないのですが、顔つきや表情、しゃべり方、声のトーン、体型、におい、物腰、歩く姿…… をみていておもったこと。
でも当然ですね、それって、きっと。気候や地勢などのありさまをとってみても頷けます。
彼らは、砂の色の地に住んでいるんですよね。
海に囲まれ、緑が潤う地で、思考を停止させる授業を受けてきた日本人のオツムと同じでは、砂漠の渇きの大地で生命は乾上がってゆきます。
同じ地球上で起きている日常
イスラム諸国のなかでもシリアやイラクは砂の渇きに満ちた国だとききます。
草木も生育しにくい砂漠地帯で、生きものが生きるのは過酷です。
サボテンのように、全身に研ぎ澄まされた棘があるのは必然なのでしょう。
しかしながらサボテンは、「水を必要としない」というのは誤解で、水を好む植物なんですね。
オアシスの奪い合い……。
人間の本性に根ざした単純な行為なのかもしれない。。。
2億ドルの残忍性
2015年に入るや「アンマン」「ヨルダン」の文字を頻繁にニュースで目にするようになり、それよりほんの数ヶ月前、現地で子どもたちとお絵描きをして遊んだときに目の当たりにしたことが甦ってきました。
それは……
この地に住む子どもたちが描く山は、茶褐色だったんです。
わたしが後藤健二さんの著書『 ダイヤモンドより平和がほしい―子ども兵士・ムリアの告白 』を読んだのは、2006年に上映された『ブラッド・ダイヤモンド』の映画を観たのがきっかけでした。
観終わるや、もっと知りたくなって、「ダイヤモンド」、「シエラレオネ」、「少年兵」 などをキーワードに調べまくりました。
過去を水に流す?
世界は平和を願っている。そうおもっていた。
たしかに日本は山が緑です。
長いものに巻かれ、過去を水に流せるだけの「水」がこの国にはあります。
このような国は世界になかなかない。たいていは禿げ山で枯茶な砂色をしている。木なんてほとんどはえていない。気候風土が生み出してきた人間とその歴史に差異が生じるのは当然でしょう。
それでも。
それでも、ただひとつ。平和を願う想いだけは、世界中の誰もが共通している祈りだとおもっていた。
世界はいつおとなになるのだろう
海外を旅するようになるまで、山は緑、とおもっていたわたしは、人類に共通な正義はないってことを知らされた。
どうして平和は実現しないのだろうか?
家庭のなかででも争っている……。
わたしたちの目にしているモノの向こう側に、「不都合な真実」が隠されている。
「それしかないわけがない」とまずはおもうこと。
ほかにはどんなことをおもいこんでいるのだろう? あの日からよく考える。