対話の必要性とよい議論をするために必要なこと-サドベリー・デモクラティックスクールの場合

am3こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。

「ありのままの自分」でいる方法は? のびのびとした対話が生まれる環境は? 議論とは? 多様性を認め合えるための対話能力について。

 

「ありのままの自分」でいられる重要性

去る7月30日に東京サドベリースクールで開催された「答のない問いについて考えましょう」と打たれた「東京サドベリースクールの元保護者と一緒に考える会 」に参加させていただけたことは、とてもよい経験になりました。

自分ひとりで考えるのではなく、また家族や親しい友人などでもなく、初対面の方や、議論しあったことのない方たちの意見を 聴くということは、知るよろこび なんですね。「なるほどなあ〜、そういう考え方もあるなあ」ってなってごきげんにさせてもらえました。

また自分の意見を 言う ということは、自身を深めるよろこび となります。自分の感覚を通じて自他を「わかっていく」体験はいつだっておもしろいです。

そしてなによりもよかったのは、東京サドベリースクールの元保護者と一緒に考える会が、知るよろこび深めるよろこび を味わうために必要不可欠な 安心安全な場 の心地よさに浸れたことです。

安心安全な場、つまりは、価値観の違いや、表現の自由が許されている環境というのは「ありのままの自分」でいられます

「ありのままの自分」でいられたら、議論しあうことが成り立ち、のびのびとした対話は互いに理解を深めます

 

※ 東京サドベリースクールで開催されたときのことは【勉強はどうしてするのか?】子どもに「なぜ勉強するの?」と言われたときに応えたこと に書いています。

※「東京サドベリースクールの元保護者と一緒に考える」はご好評につき、9月2日(土)第2弾が開催されますよ。詳細は こちら をご覧ください。

 

議論とはなにか

議論とはお互いの価値観の違いを知ること です。

ビジネスにおいては議論すること自体は目的ではありませんがそうでない場合、同じテーマについて話していくことで相手の価値観を知り、相手の主張からこれまで考えもしなかった新たな考えと出逢い、互いに刺激し合いながら、互いの意見を述べて論じ合う

それは全員が同じ意見でなければならないわけではなく、また決して相手を論破することが目的でもなく、必ずしも統一された結論を出す必要もありません。

 

日本人は、議論に対する認識が不十分な人が多いのではないでしょうか。

その結果、まちがった反論をする人が多いのではないでしょうか。

 

意見の相違

デモクラティックスクール・サドベリースクールではごくごくふつーな「あるある話」として、とても仲のよいふたりが、ミーティングで話し合っているときには意見が異なり衝突することがあります。でもそれは単に意見の相違にとどまります。

ところが多くの日本人の場合、意見の相違は感情の衝突につながる ことがよくあります。

どういうことかというと、意見が異なることはなんでもないことなのに、ちょっと意見が食い違っただけで、すぐに不快感をあらわにして、意見を言わないで、気持ちを言う

「××なあなたにエラッそうなこと言われる筋合いないわ」とか、「だからあなたは××なのよ」とかとか。人格否定にまで言い及んで。そうして相手を黙らせようとします。

相手が子どもであればなおのことでしょう。ちがう意見の者を攻撃します。

 

異なる考えを尊重する ことが身についていません。

 

空気を読むことが善いことのように扱われて、感情が重視されてしまうと、当然意見は言いにくくなってしまいます。

他人の判断を憶測し、その反応の予想が否定的なら「言わない」とする傾向になっていってしまいます。

 

デモクラティックスクール・サドベリースクールでの「言う」、「聴く」

東京サドベリースクールはじめ、他のサドベリースクール、デモクラティックスクールで学び育っている子どもたちは、ありのままの自分と向き合って過ごしています。

自分に正直で、その正直さを他の人(スタッフや子ども)からありのまま受け止めてもらえているから、自分もまた他者をありのまま受け止めます。「そんなんおかしいー!」と人格否定されることはありません。

 

信頼と尊重

たとえばスクールの建物の前に、未来の乗り物に乗ってドラえもんが来たとしましょう。

みんな「え”え”え”ーーー! マジでぇ?」となって、見に行きます。

そんななか7歳のAくんは見に行こうとはしないとします。

こんなとき他の子どもは、見に行かないAくんのことは「ふ〜ん」ぐらいにしか思わないだろうし、仮に「Aくんは見に行かないの?」とたずねて、Aくんが「別にたいして興味ない」と言えば、やはり「ふ〜ん」で終わりです。

「別にたいして興味ない」と言っている子どもに対して、スタッフも「ふ〜ん」です。

だれも、ドラえもんを見に行かないAくんに「そんなんおかしいー!」とは言いません(「もったいない」とかね)。

 

広げる、深める、繋げる

空気を読まない人を厄介者扱いにしたり、意見がちがう人をわからず屋と言い当てたり、聞く耳もたなかったりしてたら、意見はひたすら平行線をたどるし、議論ではなくただの意見の押し付け合いになります。

 

8月18日(金)に開いた「これからの学びを考える会」第1回目のレポートを書こうとおもい、「ありのままの自分」でいられたら、議論しあうことが成り立ち、のびのびとした対話は互いに理解を深めます。の部分をもう少し詳しく書こうとしたら、長くなりすぎてしまいました(笑)。なので、レポートは次回にあげます。

「これからの学びを考える会」は、その都度、参加者さんがいま自分が気になっていることや、考えてみたいこと、それらをテーマにします。

正解がないテーマに対し、意見を通じた対話を大事にしながら、自分の意見を述べて、相手の意見を聞いて、をくりかえしていくことで、テーマにした本質を模索していき、これまでになかった風景がみえだしたらいいなあとおもっています。

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