こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
子どものころから毎日「勉強しなさい」って言われてきたけど、「なぜ」勉強しなきゃいけないんだろう?
7月30日(日)、東京サドベリースクールで行われた『東京サドベリースクールの元保護者と一緒に考える「横並びの親子関係とは?」』に参加してきました。そのレポートと勉強について。
答のない問いについて考えましょう
東京サドベリースクールで、「親と子の対等な関係」について話す会を開きます。最初から結論ありきではなく、みんなで話しあいながら、各自が自分で考えていけるような流れにしたいと思います。
↑↑ の、「みんなで話しあいながら、各自が自分で考えていけるような流れ」の一文に魅かれて、「親子の対等な関係」について考える会に行ってきました。
時間の都合で最後までは参加できなかったのですが、「勉強はどうしてするのか?」と、「親ってなに?」という正解のないことについて、参加者のみなさんの考えや想いを知れたこと、勉強になりました。(わたしたち(吉田・星山)が帰ったあとラストは「子どものしあわせってなに?」だったようです)。
帰り道も学びはつづき、 星山海琳 さんと「勉強はどうしてするのか?」を、バシバシ(笑)ディスカッションしあってました(⇒ サドベリー話になる)。
企画してくださった東京サドベリースクールの元保護者・簑田雅之さん、ありがとうございました。
日本一こどもの友だちが多いお金の専門家・渡辺剛徳さん、ありがとうございました。
勉強はどうしてするのか?
なぜ勉強するのか?
おもしろいテーマですよね。これ。
なぜ勉強しないのか? って考えてみたら、また異なるものがみえるしね。
この日、東京サドベリースクールで開かれた会でも、たくさんの考えや意見が飛び交いました。
- 同調からはずれないため
- 仲間はずれにならないため
- 自分をほりさげるため
- 楽しいから
- 勉強は自分のため(だから褒めたり叱ったりはしない)
- 小学4年生までの勉強(足し算とかかけ算とか)は大事だからクリアーしろ! それ以降は言わない
- 高校に行くため
- 好きなことが見つかるまでは勉強はやりなさい
- いろんな勉強を知ることによって、いろんなことを考えられるから勉強は必要
- 本人が考えること
- なりたい自分になるためのベース
- etc
教養と知識は別物
勉強はどうしてするのか?
そもそも「どうしてするのか?」の前に、「勉強」とはなにかですよね?!
仮に勉強が、豊かな生活を送るため、だなんて言いだしたとしたら、じゃあ、その豊かな生活ってなんだ? ってことになっちゃって(笑)。豊かな生活なんて、ほんと定義が曖昧です。
でまあ、勉強とは何かという点で、ここで「勉強」の定義から話し合わないとズレが生じるけれど、言いたいのはそこじゃないから、いまから書くことは学習指導要領に沿うた教科勉強の「勉強」とします。
学校の勉強をした人はみんな幸福になれて、勉強をしない人はみんな不幸になる、とはおもっていなかったからなのか(学校の勉強はしてこなかったけれど「いま自分はしあわせだよ」と言う人がまわりにかなり居た)……、
東大卒のフリーターもいて、中卒の社長がいることも知っていたからなのか……、
はたまた、自身が小中高の学校の勉強で持った感想は、人の感性や思考を狭量にするように教えるものとおもっていたからか……、
理由はさておき、わたしは子どもに「勉強しなさい」と言ったことはなかった。
息子 がまだ小学校に行ってたころも「勉強しなさい」とか、「宿題はしたの?」とかとか言ったことはなくて、こころの底から学校の勉強の成績はどーでもよかった。
(教科外の)勉強はすでに、いつだって、どこでだって、してたから。
学力(=学ぶ力)はあったから。
学校の勉強と、「学ぶということ」の本質はちがう と考えていました。
「なぜ」という疑問が、「学び」なのだ
海琳さんと「勉強はどうしてするのか?」をバシバシとディスカッションしあったのは15年ぶり? 彼女が小学校に入学したとき以来だったかもしれません。
「なんで勉強せなあかんの?」
わたしに聞いてきたときの、リビングに差してた光のやわらかさや、流れていた音楽… それらの景色を鮮明に覚えています。
息子もいて、3人で、あ〜でもない、こ〜でもないと喋ってました。夜になってパートナーが帰ってきてからは家族で語り合ってさ。
「なぜ」という疑問がわいて、考える。それは「学び」です。
なぜ勉強しなきゃいけないの? という問いを発した人は、もうすでに学びつつある。
学ぶことによろこびを感じることのできる場面。その場面は、自分の能力を発揮できるものを学ぶときだとおもっています。
だからそんなときは、立ち止まって、ゆっくりと、気がすむまで、考えるのがいい。
そのとき親ができることは、子どもが安心して悶々できる時間と空間をじゃましないこと。
安心安全な場のなかで、「自分で考え、自分で答えのようなものを見つけ出していく」ことを大切に してきました。サドベリースクール(デモクラティックスクール)同様、わが家でも。