バルト三国「人間の鎖」200万人が手をつないで取り戻した自由

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

集い、歌い、武器を持たない民主的運動で、世界最強の軍隊・旧ソビエト連邦を撤退させて独立を手にしたバルト三国の話です。

バルト三国

バルト海に面した3つの小国、エストニアラトビアリトアニア。この3つの国を合わせてバルト三国といいます。

バルト三国は、ナチス・ドイツと、旧ソビエト連邦、両側の強国から散々と酷い目にあってきました。

第二次世界大戦中はナチスに支配占領されます。

大戦終焉後は再度冷戦のなか、スターリン時代の冷酷極まりないソ連体制の支配下におかれ、文化も言語も奪われます。

何の罪もない多くの人たちが逮捕され、シベリアに抑留された小国の悲しみの歴史を持ちます。

 

「歌の祭典」

1991年9月、バルト三国はソビエト連邦からの独立を果たします。

悲願の独立にむけ戦った方法、それは「歌」でした。「歌」で独立を勝ち取ったのです。

エストニアは独立への想いを歌で表現する「歌の祭典」を地道に定着させてきてました(歌だけは母国語を許されていた)。

1988年、各地から30万人以上の人々(当時の人口の1/3にあたる)が「歌の原」(野外ステージ)に集い、3万人以上のエストニア人歌手が独立の願いを歌に託したのです。

 

「人間の鎖」

このことが革命の引き金となり、翌1989年8月23日、「人間の鎖」がバルト三国の首都を結びました。

リトアニアの首都ビリニュスから、ラトビアの首都リーガを経て、エストニアの首都タリンまでの距離およそ600Kmを、200万人の人々が手を結び、連帯と独立への意志を歌い続け、バルトの人々の独立への強い意志を全世界に示したのです。

※3首都を結んだ距離は640㎞だそうです。
※エストニア人70万人、ラトビア人50万人、リトアニア人100万人の合計220万人と言われます。

IMG_5790出典「マガジン9:http://www.magazine9.jp/」

 

東京から大阪が約500キロだから、プラス100キロ。ええっと… 東京から明石(兵庫県)ぐらいでしょうか。

スゴくないですか!!

想像してみて。

右側の人と左側の人と手をつなぐ
右側の人はさらに右側の人と手をつなぐ。左側の人は左側の人と手をつなぐ。

そのつながりが、東京ー明石。
東日本だと東京から青森は十和田湖、大阪からだと九州・福岡。北海道なら函館・稚内。

その距離を人びとが手をつなぎ結ぶ。

2-5-4出典http://nishida-s.com/main/categ2/47-balt-russia-1/index.htm

 

訴える、願う、祈る

3国の民族事情の違いだってあります。

それにもかかわらず、独立を訴えて、願って、祈って。

集い、歌い、武器を持たないこの平和的な運動は、世界最強の軍隊を撤退させました。

歌いながらの革命を成功させたバルト三国の独立は、ソビエト連邦の崩壊のきっかけとなったのです。

 

非暴力

「平和はいいですよ。民主主義にしましょう」といって、大国は小国に武力侵略します。

「兄弟ケンカはやめなさい! 仲良くしなさい」といって、親は子を叩き、言い聞かせます。

世の中は、非暴力主義なんていいつつも、思い通りにならないと偉そうに命令して、権力を振りかざし、武力による威嚇または武力行使をします。

欧州の航空会社の飛行機を利用してヨーロッパに行くとき、機内食を食べて、映画でも観て、いねむりして、また映画でも観て、2回目の機内食がきて…… しても、飛行機はまだロシアの上空です。

どんだけでかいねん、ロシア!! と実感します。

ロシアの広大な領土をクジラとみたら、バルトの国々の割合なんて歯1本ないほどでしょう。

スクリーンショット(2016-08-14 9.23.46)

 

そんな小国が軍事超大国から自由を取り戻した。「歌」で願いを口にし、手と手をつないで、非暴力主義を貫いてです!

バルト三国の首都を200万人の手でつなぎ、600km以上を築いた「人間の鎖」は、血を流すことなく民主的に行った独立運動として、世界から評価されているそうです。

 

バルト三国を歩く

IMG_8084p7エストニア

この「人間の鎖」を知り、バルトの三国、リトアニア、ラトビア、エストニアを歩きたくて、10年ほど前に訪ねました。

 

素手の人間が、全身武器だらけ化学兵器、核兵器だらけの大国をやっつける? それも歌で?

できるはずないやん! ですよ。ほんとに。

 

でも「人間の鎖」は成し遂げた。

決してあきらめない粘り強さと不屈の精神、仲間と協力して困難に立ち向かう団結の力は、不可能を可能にしたわけです。

 

そうそう、バルトの帰り、飛行機のなかで、映画『ファインディング・ニモ』を観たんですね。

バルトを歩いて、肌がかんじたことは、「生きるということは最後の最後まで可能性をあきらめないことなんだ」だったものだから、かなりヤバかったです。

こちらのページで、 10年ぶりに観た『ファインディング・ニモ』の感想 を書きました。

 

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