こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
「こどもと向き合う」ってやつ、あるじゃないですか?
「こどもに今 起きていることや、やっていることにちゃんと意識を向けたり、こどもの話をちゃんと聞いてあげたりして、ちゃんと関心をもって向き合いましょう」の「向き合う」。
「あの先生はちっともこどもと向き合ってない」とかの「向き合う」だったり、
「不登園」だったり、「不登校」のことで悩まれているお母さん(お父さん)とお話をしていて、最後に、「わかりました。一度こどもと向き合ってみます」と言われる「向き合う」もそうですね。
この「向き合う」ってなんなのでしょうか?
こどもと向き合うにはどうすればよいのでしょうか?
子どもと向き合うとはどういうことか?
「ママー、見てみてー! あのね、あのね、いまね、こ〜〜〜んなにおっきなくるまがね、おじいちゃんのとおんなじくるまをのせて通っていったよー、あかいろでね、でね、、、」と延々と語るこどもと「向き合ったり」。
「幼稚園 行きたくない!」「学校 行きたくない!」と話すこどもと「向き合ったり」。
何気に使っている「向き合う」という言葉だけど、これってね、向き合うんじゃなくて、「添う」だと、わたしはおもってるんです。
「向き合う」と「添う」
絵であらわすと↓↓↓ こんなかんじ。
向き合う🔻
添う🔻
近いやん。添うほうが、こどもと。
手もつなぎやすいし、ハグだってすぐできちゃえる。
それにね、なにより、おなじ景色をみることができるんですよね。
たとえば、こどもがAちゃんを叩いたとして、
「なんでAちゃんを叩いたりしたの?」と問わなくても、
Aちゃんを叩きたくもなったその理由が、おなじ方向を向いていたら、見えるでしょ?
おなじ風景
こどもと接するときに必要なことは、ちいさかったころの自分を思い出すこと。今現在の親としての自分の立場じゃなくね。
目の前にいるこどもが4歳なら、4歳だったころの自分をおもいだす。
5歳なら、5歳。
12歳なら、12歳。
14歳なら、14歳。
18歳なら、18歳。。。
親になって忘れたらいけないことは、こどもだったころの自分。
自分がどれほど賢かったか。
親や先生などおとなに辱めを受けたとき、どれほど悲しかったか、どれほど怒りを感じたか。
「あのね、あのね、ママ、これあげる!」って道端で摘んだ草を手渡そうとしたときに、
「汚いでしょ!」と言われたかなしみを。
「わあ〜、ママに? うれしい!」と言われたよろこびを。
こどもの目線に合わせる?
あとね、
「子どもと向きあう」とは、子どもと同じ目線になって、子どもの話をよく聴き、そして話し合うということです。
なんてふうに言われたりもするけれど、
この「こどもの目線」というやつ、わたしは嫌いです。
これは星山が6歳くらいのころの話なんですが、はじめて「手帳」がほしくなったんです。
ひとりで近所のショッピングセンターへ行って、文房具売り場っぽいところまで行ったんだけどよくわからなくて、売り場にいた店員さんに声をかけて。
そしたら、「すみません」という声に振り返ったとたん店員さんは、わたしの目線のところまでしゃがんで、「どうしたの?」と言ってくれました。
そのときわたしは、一瞬にして心を閉ざしてしまった。「しゃがまれる」というのが、すごく衝撃的だったんです。
それまでにも、相手がしゃがんでくれる経験ぐらい、きっとあったはずなんだけど、6歳のわたしにとっては、はじめてのものに感じられた。なんでかっていうと、そのときはじめて、「大人」に「子ども扱い」をされたんだと思うんですよ。
「人」が「人」のためにじゃなく、「大人」が、「子ども」のために、目線をあわせる行為。自分が子どもである、ってことを、はじめて他人から見せつけられたような気がした。
これって、めちゃくちゃ「タテ」だったな、と今になって思います。↓↓↓ このときの記事より引用
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[box class=”pink_box” title=”HOT ニュース”]↑は、「子どもとヨコの関係になろう! –「よい家庭」ではなく「大好きな家庭」 – の勉強会お知らせ時のまりんさんの文なのですが、
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詳細は、3月13日(水)発表! たのしみにしててね〜♪ ウキウキ[/box]
「こどもの目線に合わせて…」なんて言葉をよく聞くけれど、こどものほうが目線は高かったりだってしますよ。
そういう傲りにまったく気づかないおとなを、当時4歳だったわたしは軽蔑していました。
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