こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
わたしの母親であるよっぴーは、家には好きなものしか置きません。
「好きなことをする」ことの大事さはよく語られるけれど、「好きなものに囲まれる」ことが、じぶんをご機嫌にし、家族みんなのやわらかさをつくっていきます。
子どもは親の思考や習慣をとりこんでいく
親と子はそれぞれ別の人間だとはいえ、子どもはじぶんの生まれた家庭にある思考や習慣をそのまま取り込みます。
家族ルールなんかもそうですね。
習慣でいえば、「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」などと声をかけあう家庭では自然と子どももそうやって声をかけるようになるし(よいこととしてではなく、普通に)、
物にそっと触れたり置いたりする家庭に生まれた子どもと、投げたり大きな音を立てて置いたりする家庭に生まれた子どもでは物の扱いかたも違うし、
外から帰ってきてすぐに部屋着に着替える親か、お風呂にでも入るときまで着替えない親かによって、子どももおなじ行動をとるようになる。
のちになって変わることはあっても、年齢が若いうち、そういうことは往々にしてあります。「子は親の鏡」というやつの一種でしょうね。
もちろん、わたしにもそういう影響はたくさんあって、長くいっしょにいる よっぴー(母親)の価値観が、いちばん馴染み深いです。
そのなかのひとつにあるのが、「家には好きなものしか置かない」「好きなものしか持たない」という考え。
ご機嫌なひとのまわりでは誰もいやな気にならない
「 “好き” をする」がいいことだとはよく言われるけど、「 “好き” にかこまれること」の大切さは、それほど重要には捉えられていないような気がします。
好きなことをしていてワクワクするのとおなじように、好きなものを眺めたり、触れたり、聴いたりすることは、じぶんの機嫌をよくさせてくれます。
ご機嫌でいるって、ほんとうに大事なことです。ちょっとした悩みや落ち着かなさのほとんどが、「ご機嫌になる」ことで解決する。暮らしの中心である「家」が、じぶんにとって大好きな空間であることは、そんな状態に近づくためにできることのひとつです。
家族のなかでじぶんが機嫌よくいるということは、じぶん以外の家族にとっても心地いいこと。
親にしても子にしても、夫婦や兄弟にしても、相手がワクワクと、機嫌よさそうにしていたら、それを見ているこちらも、なんとなく気がやわらかくなります。
よっぴーが、よっぴー自身の大好きなチェアに腰かけて、大好きなマグカップで、大好きなコーヒーを飲んでにこにこしていたら、わたしの気分がよくなるのも当然だし、そんな心地のまま話しかけようとします。
それだけで、緩みのある、心地いい会話になりますよね。
好きなものはどれだけあってもいい
ウィリアム・モリスの有名な言葉にも、「役に立たないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない」というものがあります。
家具・インテリア、好きな本や音楽、好きな服を着るとか。
好きなものを買い揃えるわけじゃなく、こころから「好き」と思うもの以外(と、どうしても生活に必要なもの以外)を、できる範囲で排除していけばいい。
まあ、我が家でそれが実現しているのは、わたしたちの好みがかなり似ているからというのも大きいのですが。
最小限の物で暮らすとか、ミニマリスト的な考えは、わたしの場合はあまり合わないんです。好きなもの、うれしくなるものなら、どれだけあってもいいと思っている。