「自律」を目的とした 「他律」 。千代田区立麹町中学校長工藤勇一著『学校の「当たり前」をやめた。』を読んで思ったこと

am3こんにちは、AI-am(アイアム) 吉田 晃子 です。

学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』を読みました。

東京都千代田区にある区立麹町中学校では、

宿題はない。
中間・期末テストもない。
クラス担任は廃止。
服装頭髪指導は行わない。
運動会の「クラス対抗」も生徒自身が廃止。

この学校の校長を務められている工藤勇一さんの著書です。

 

 公立中学校は校長先生によって変革する

校長の工藤さんのことや、麹町中学校のことは、ネットでは知っていたけれど、本を読んで、あらためて公立校でも「人」次第で、改革はできるんだっておもいました。

同じく公立中学校の改革をされている 西郷孝彦さん世田谷区立桜丘中学校 校長)や、公立中学校の改革をされてきた平川理恵さん横浜市立市ヶ尾中学校 元校長)もそうですよね。

 

多くの学校では、いまだに校則は「与えられる」ものになっているけれど、高知県の奈半利町立奈半利中学校のように、20年も前から、校則の見直しに生徒たち自身が参加して決めている学校もありますしね。

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いま注目の中学校だけあって、麹町中学校は、全国津々浦々から毎日のようにたくさんの方々が視察に来られるそう。

各都道府県に最低1校ずつでも、学校の「当たり前」をやめた、学校がたのしいとかんじられる、こどものための学校 ができていってほしいです。

 

学校は何のためにあるのか?

学校の「当たり前」。。。

本の表紙にも書かれているのはこの3つ。

[aside type=”boader”]

  • 宿題は必要ない。
  • クラス担任は廃止。
  • 中間・期末テストも廃止。

※クラス担任を廃止して、学年の全教員で学年の全生徒を見る「全員担任制」を採用。
※中間・期末テストを廃止して、単元テストを行う。

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「それは生徒達にとって本当に必要なことか?」という率直な疑問と明確な目的意識のもと、クラス担任の廃止など、学校の「当たり前」をやめられた校長の工藤さんは、日本の学校教育を本気で変えなきゃいけないという思いで、

[aside type=”boader”]

  • 目的と手段を取り違えない
  • 上位目標を忘れない
  • 自律のための教育を大切にする

[/aside]

といった考え方を大切に、5年の月日をかけて、教育活動を見直してきたといいます。

 

学校は何のためにあるのか?

 

学校は子どもたちが「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにある と考えられる工藤さん(これが工藤校長の上位目標)。

そのためには、子どもたちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」、すなわち「自律」する力を身につけさせていく必要がある、と語られます。

 

よっぴーの心のなかの声↓↓
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/01/49407191_754464758255380_8486056143611756544_n.jpg” name=”よっぴー” type=”l”]「社会の中でよりよく生きていけるようにする」かあ…。
何に対しての「よりよく」なんだろ? 結局のところ、誰にとっての「よりよく」なんだろなあ。いつか会ったら聞いてみようっと。[/voice]

 

自律のための教育を大切にする

「子どもたちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」、すなわち「自律」する力を身につけさせていく必要がある」(本文より)。。。

この本では、「自律」という言葉が頻繁に使われます。

それは、校長である工藤さんが、最も大事なのは「自律」だと考えられているからなんだけど、随所に矛盾を感じながら読みすすめていました。

 

「子どもたちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」、すなわち「自律」する力を身につけさせていく必要がある」。。。

これって、言い換えてみれば、

「自律する力を身につけさせていく」ためには、子どもたちには「自ら考え」「自ら判断し」「自ら決定し」「自ら行動する資質」が必要ってことだよね?

 

「自律」する力を身につけさせていく

なにを、
自ら、
考えるのでしょう?

なにを、
自ら、
判断するのでしょう?

なにを、
自ら、
決定、、、、、

 

自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質

自律する力は、 自分自身がやりたいことを自分自身が知り、自分自身がやりたいことをやることから成長していくものです。

だから、やりたいことはやる。やりたいことをやる。でなければ自律性は育たない。
と、わたしもそうおもっています。

自分で自分を律することができない限り、自分を生きていく力はしぼんでいきます。自由も責任もわからない。自信も持てません。どれもこれもはじめから、自分のなかにあるものなのに、です。

なにがそうさせるの?

干渉(と評価)です。
干渉(と評価)は、自律を遠ざけます。

 

学校は生徒の「自律」を妨げている

工藤さんも語られています。↓↓

子どもたちが自律し、「早く大人になりたい」と思うためには、私たち大人が子どもに手を掛けすぎず、自分で考え、判断、決定、行動させる機会を与えることが大切です。宿題や定期考査の全廃、固定担任制の廃止などは、そうした狙いの下で行いました。
子どもは、大人がきめ細やかに手を掛ければ掛けるほど自律できなくなることを、大人たちは今一度、全員で認識する必要があると考えます。
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.192より

 

でも、いたるとこで矛盾してるんですよね。

たとえば↓↓

生徒が最初に学ぶのは、中学入学後すぐに行われる「ノート・手帳ガイダンス」です。中学校生活の土台となる「ノートの取り方」や「手帳の付け方」をフレームワークで学ぶものです。
その前に前提として、自律を目指している麹町中では、「見返すことがないのであれば、ノートは取らなくてもよい」とも話しています。
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.104より

 

学ぶ?

「ノートの取り方」や「手帳の付け方」?

自律を目指しているのに?

取らなくて「も」よい?

 

これ↓↓は、宿題を廃止したことが書かれている箇所なんですが、

自律的に学ぶ経験を積まないと、決して工夫して仕事ができる人にはなれません。
もっと言えば、私は、学校でしっかりと勉強して、家では、好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、スポーツをしたり、あるいは、ぼんやりと思案する時間の方がよほど有意義だと思っています。
(略)
「やらされる学習」ではなく、生徒たちが主体的に学ぼうとする仕組みを整えることです。宿題が子どもから自律的に学ぶ姿勢を奪わないようにしなければなりません。
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.24,25より

 

学校でしっかりと勉強する?

「やらされる学習」ではなく、主体的に学ぼうとする仕組みを整える?

「自律する力を身につけさせていく」ためには、子どもたちには「自ら考え」「自ら判断し」「自ら決定し」「自ら行動する資質」が必要なんですよね?

 

これじゃあ、「自律せよ」という「他律」になりませんか?

「自律しましょう」という言葉に従うかぎり、それは他者からの指示によって(つまり他律的に)「自律」させられているだけです。

破天荒なサドベリー教育

教室という空間にあるのは、教壇と机の配置が物語っているように、「教える」と「教えられる」です(教育者と被教育者)

「子どもを教育する」ためのカリキュラムも、教師の役割も、教室空間になだれ込んでくる制度は、上から下へと振り下ろされます。

 

デモクラティックスクール(サドベリースクール)のスタッフをしてきて目の当たりにしたのは、「学ぶためには、自由でなければならない」ということ。

天外伺朗さんの著書『「生きる力」の強い子を育てる 』で、天外さんは、デモクラティックスクール・サドベリースクールのことを、「破天荒なサドベリー教育」と書かれているんだけど、従来の学校教育に慣れ親しんでいると、確かにサドベリー教育はぶっ飛んでいるのかもしれません。

だとしても、「教育者」によって選定されたものを与えておいて、「自律」はないだろう、とおもうんでありました。

 

よっぴーの心のなかの声↓↓
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/01/49407191_754464758255380_8486056143611756544_n.jpg” name=”よっぴー” type=”l”]次は、『「思い込み」をやめた。』でどうだ?
「傲慢」を脱ぎ、根本が変わんないといつまでも矛盾しちゃうよ。[/voice]

 

「不登校」の助っ人本(助け本)

本書のなかで、不登校のことに触れている場面が3箇所ほどあります。
そこで工藤校長は、以下のように書かれているんですね。

これね、夫が「不登校」を理解してくれない、、、とか、

親がわかってくれない、、、とか、

そういった場合に、水戸黄門の印籠のごとく、手元に置いておくとおおきな助けになりますね。

「校長」という立場の方がこう語ってくれるのは、ほんとうに心強いです。

 

「学校は『来ること』が目的じゃない。大人になること、社会に出ることの方がもっと大事だよ。」
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.10より

 

学校以外にも学びの場はありますし、社会とつながることだってできます。勉強だってできるし、もちろん立派な大人になることができます。逆に、学校にきて学習指導要領に定められたカリキュラムをこなしても、知識を丸暗記してテストでよい点をとれるようになっても、社会でよりよく生きていけるとは限りません。この点について、私たち大人はもっと柔軟に考えられるようになっておきたいものです。
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.65より

 

「別に学校にこなくたって大丈夫だよ。進路のことも、高校に行きたいなら、今からでも全然問題なく行けるし、心配することなんて何もない」
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.66より

 

学校へ行かない子どもがいても、周囲の大人が平気な顔でいられるような社会がよいと考えます。
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.67より

 

「不登校」にしても、ベースに「学校へ行くのが当たり前」という価値観があるから「問題」と捉えているのであって、学校が大人になるための一つの手段にすぎないという考えが普通になれば、「不登校」という言葉すら存在しなくなるでしょう。
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』p.88より

 

学校教育も家庭教育も根本はおなじ

学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』は、公の学校教育が再生されると希望が持てる、学校改革の実践録でした。

工藤校長の実践力、それを裏打ちする熱意が本書から伝わってくるんです。

 

考える優先順位は、①子どもたちのため、②保護者のため、③区民のため、④学校や教職員のため、であり、最後に、教育委員会のため、が来る。そこを間違えてはいけない
引用:『 学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革 ― 』P87より

 

読んでてね、これ、子育てでもまったくいっしょやん! 大切なことやん! っておもう箇所がいっぱいだった(また書いていくー)

子どもと育っていくために、学校はもちろん、家庭においても意識改革は必要。
この本は、そのことを教えてくれます。

 

今日の本

学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革/工藤勇一

「みんな仲良く」と教室に掲げても、子どもたちは仲良くなりません。他者意識のない作文、目的意識のない行事すべて、やめませんか。宿題は必要ない。クラス担任は廃止。中間・期末テストも廃止。何も考えずに「当たり前」ばかりをやっている学校教育が、自分の頭で考えずに、何でも人のせいにする大人をつくる。多くの全国の中学校で行われていることを問い直し、本当に次世代を担う子どもたちにとって必要な学校の形を追求する、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長。
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「生きる力」の強い子を育てる/天外伺朗

誰の目から見ても“いい子”は、本当は非常に危うい。学歴や学業成績が人生を決める時代は終わった。ソニーの上席常務として、数多くの“エリート”たちの盛衰を見つめてきた著者による、子どもの内なる力を引き出す、新しい教育のためのヒント。
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クリエイティブな校長になろう/平川理恵

公立学校でもここまでできる!「社会に開かれた教育課程」、「主体的・対話的で深い学び」、特別支援教育、「働き方改革」…民間人校長として学校改革に取り組んだ8年間の軌跡。
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