朝、学校に行くときは自分で言うから「どうする?」とママ聞かないでね。

am3こんにちは、AI-am(アイアム)の よっぴー です。

「学校 行きたくない」とTwitterで検索してみました。

「学校 行きたくない」で検索してるんだから当たり前なんだけど、「学校行きたくない」とつぶやいている人たちが、めーーーーーーーーーーちゃくちゃ、たくさんいらっしゃいます。

登校する子どもや、登校しない子ども(不登校)ではなく、苦登校 している子どもがこんなにも多いって、、、いったいなんなんだ?

# 学校行きたくない

 

主役のいない学校は人を受動的にさせる

たくさんのつぶやきを見ていてかんじるのは、管理が強化され、多様性を徹底的に排除する学校教育の暴力性は、どこまでも「生きる知恵」に蓋をして、能動性をもって生まれてきた人間を受け身にさせている ってことです。

 

「学校に行きたくない」とツイートしている子どもたちに、「学校は行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ」とか、「義務教育の義務はね、あなたたちが「学校に行く」義務じゃないんだよ」などと言うのは簡単。

でも、根本はそこじゃない。

 

学校を休むには親の許可がいる?

ツイートから、体温計が水銀だったころを思い出しました。

わたしは、高校になってからは(大学も)休みたいときは勝手に休んでいたけれど、小学校や中学のころは、「学校を休む」には親の許可が必要だった

変な話ですよね。自分のことなのに、親が決めるなんて。

 

しかも学校を休めるのなんて、病気のときぐらい。

母が「熱を計りなさい」って言うんですね。
熱を計らせられて、でもって熱があれば、そこで 母が決める んです。「今日は休みなさい」と。または「それぐらいだったら行きなさい」と。

 

ほんと、変な話。

水銀体温計をこすって、「今日は休みなさい」と親に言わせ、かつ、病院には連れていかれなくて済む、絶妙の温度にしちゃえる名人になれました(笑)。

 

家畜化からの脱出

せめて、「熱があるね~。学校どうする? どうしたい?」と言おうや、と願っちゃいます。

そして子どもが「休む」って言ったんだったら、「休むんだね」。

「行く」って言ったんなら「行くんだね」。

子どもが選択した決断にぐちゃぐちゃ言うな や、って思います。

 

自分が下した判断に干渉が入る。その経験の積み重ねが、物事を自分で決められない、自分を頼れない人へと後退させていく んです。

後退です。ここ重要です。

 

人(子ども)は自分で決められます。
人(子ども)は自分で学びます。

能動的に生きている人(子ども)を受動的にかえる。。。そうやって 自分軸で生きられなく していく。

 

自分を正直に出す

子どもたちが 自律性 をとりもどすには、お母さんが 自律性 をもって生きられていること。

 

今日のタイトルは、 よっぴー・まりんのオンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」 の仲間、あるお母さんのお子さんが言われた言葉です。

朝、行くときは自分で言うから、ママ言わないでね。

ZOOMでのおしゃべり会のときに、このお話をしてくださって(子どもさんもいて♡)、自らを由とするその子どもさんの姿がしとやかに美しく、よろこびをいただきました。

 

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