こんにちは、
AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。
「学校に行きたくない」という気持ちを理解してくれる親は、いまはまだ、そう多くありません。
そもそも、子どもがどんなに主張しても、考えかたを変えてくれない親はたくさんいる。
でも、「親がダメと言ったらできない」って思いこんでないですか?
自分を子どもにしているのは、自分じゃない?
学校に行きたくないと親に言ってみても
学校に行きたくない。親にそれを伝えてみるけど、返ってくる言葉は
「行かないといけない」
「行け」
「学校は行くもの」
「なに考えてんの」
「そんなんじゃ将来困るよ」etc、etc…。
ほとんどの親、大人は、そんな価値観を持っています。
特に、学校へ行くことは「当たり前」として大人のなかに根づいてきたもの だから、(もともとこの「当たり前」がないひと、あるいはとても頭の柔らかいひとでないと)そうそう納得はしてくれないものです。
あらかじめ持っている考えが、なにかの拍子に変わるひともいる。でも、変わらないひとは、変わりません。
学校でも、働きかたでも、食生活でも、偏見でも、なんでも。
親子であっても他人は変えられない
子どもが「学校に行きたくない/行けない」ことによって、それまで根づいていた考えがひっくり返って、あたらしい考えかたに出会うひとも、もちろんいます。
でも、子どもがどんなに主張したって、立ち位置がまーったく動かない親も、もちろんいる。
そんな親に「変わってくれ」と言っても通じるわけがないし、変わらない親にわかってもらうのは、不可能に近いんです。
他人を変えるのは、たとえ親子であっても、無茶なことです。
悩んでも恨んでも、これはどうしようもないこと。
でも、「親がダメと言ったらできない」「親がいいよと言ったらできる」 という思考が、子どもであるあなたのなかにも、根づいていないだろうか?
子どもをやめて、自分の世界は自分でつくろう
もちろん、そういう思考をするように接してきたのは、親であり、周囲の大人たちです。
親は、「親」という存在にはそれだけで権力があって、子どもは従って当然だってことを、(無意識のうちに)子どもに教え続けてきた。
だから子どもにとっても親は大きな力を持った存在であり、高い壁なんだけど、それでも抵抗はできるし、壁に穴をあけたり、扉をつくることだってできるし、別の道をつくることもできる。
ひとりの独立した人間である自分を、「まだ」「子ども」だと思ってませんか?
親がダメと言ったらできなくて、いいよと言ったらできるのは、しんどいよね。
学校に行かないことに、なぜ親の許可が必要なのか、親の言うことを本当に聞かなきゃならないのか、一度考えてみてください。
小さい子どもにとっては親が生きるためのすべてでも、小学高学年、中学生……経済的な面では高校生にもなればなおさら、親がすべてではなくなっていく。
自分で、自分の世界をつくることができる。
現に、親の「学校は行かなければいけないところ」という考えに染まりきらずに、「学校に行きたくない」と感じることができているんです。
もちろん、どんな態度をとったって、どんなに距離が離れたって、親子であることには変わりなくて、親子はどう転んでも親子です(これは不幸なことじゃなくて、ラッキーなことです。つながりは保証されてるってことだから)。
でも自分が、自分は親に従う「子ども」というつもりでいる限りは、親は前からも後ろからも手を引くし、あちこちを通行止めにする。
子どもであることをやめよう。わたしたちは、自分の意思と力をもった、ひとりの人間です。